東京地方裁判所 昭和40年(ワ)2655号 判決 1972年7月01日
記
当事者の表示
主文
事実
一 原告の主張
二 被告らの主張
三 証拠
理由
第一 事件の経過
一 捜査の着手
(一) 異常死体発見
(二) 実況見分
二 死体解剖
三 原告からの事情聴取
四 現場のルミノール検査
五 聞込み捜査
(一) 石井利夫
(二) 森モト
(三) 鈴木ツメ
(四) 石井忠夫
(五) その他
六 捜索差押えとルミノール検査
(一) 捜索差押え
(二) ルミノール検査
七 逮捕
八 逮捕後の捜査
(一) 唐鍬、焦茶色背広などについての鑑定(佐藤第一、第二鑑定)
(二) 福助印ワイシャツの鑑定(佐藤第三鑑定)
(三) 原告らの血液型検査
(四) その他
九 公訴提起
一〇 冒頭陳述
一一 第一、第二審の審判
第二 時効の抗弁
第三 公訴の提起・維持の違法性と故意過失
一 一般原則
二 死体発見前後の原告の行動
(一) 事実
(二) 評価
三 草履(井戸端にあつたもの)および手桶の偽装
(一) 事実
(二) 評価
四 井戸蓋の構造
(一) 事実
(二) 評価
五 挫創の数と皮下出血(付・獣肉問題)
(一) 事実
(二) 評価
(三) 獣肉問題
(四) その他
六 犯行の動機としての原告とレイの不和
(一) 事実
(二) 評価
七 一一月二三日の原告の無断宿直、および役場での大竹日出子との面接
(一) 事実
(二) 評価
八 大竹日出子の手紙類の便所への遺棄
(一) 事実
(二) 評価
九 原告の借財とレイの保険金
一〇 牛小屋二階より発見された草履
(一) 事実
(二)評価
一一 凶器唐鍬
(一) 唐鍬が隠匿されたこと
(二)唐鍬が凶器であること
1 凶器である可能性
2 佐藤第一鑑定(血痕鑑定)
3 上野鑑定による佐藤第一鑑定批判
4 検察官の佐藤第一鑑定についての証拠価値の判断の適否
(三) 結論
一二 原告の着衣と血痕―その一、焦茶三つ組背広
(一) はじめに
(二) 佐藤第一、第二鑑定
(三) 上野鑑定による佐藤第一、第二鑑定批判
(四) 検察官の佐藤第一、第二鑑定についての証拠価値の判断の適否
一三 原告の着衣と血痕―その二、福助印ワイシャツ
(一) 問題点の概要
(二) 血痕附着の時期
1 福助印ワイシャツの血痕の主
2 原告着衣にレイの血痕附着の機会
3 死体解剖後の片づけ作業時において福助印ワイシャツ着用の有無
4 結論
一四 一般的に原告が時間的場所的に本件犯行を犯し得る情況にあり、原告にはアリバイその他犯行を特に否定する事情はなかつたこと
(一) 事実
(二) 評価
一五 レイが他の者に殺される理由の不存在
(一) 怨恨・痴情
(二) レインコート紛失
一六 結論
(一) 公訴提起
(二) 公訴維持
第四 逮捕、勾留、取調べの違法性
一 一般原則
二 逮捕および勾留
(一) 犯罪事実
(二) 逮捕勾留の必要性
(三) 公訴提起後の勾留
三 取調べ
第五 佐藤好武の鑑定が不法行為であることを原因とする請求
一 公権力の行使
二 鑑定の違法性
(一) 一般原則
(二) 唐鍬の鑑定
(三) 焦茶色背広三つ組みの鑑定
(四) その他の佐藤好武の鑑定
三 鑑定の違法性と原告主張の損害との間の因果関係
(一) 検察官の公訴の提起・維持との間の因果関係
(二) 警察官、検察官のその他の行為との間の因果関係
四 結論
第六 控訴の申立・維持の違法性と故意・過失
一 一般原則
二 犯行時刻(判決理由第一)
三 レイとの不和(判決理由第四の一)
四 手紙類の遺棄(判決理由第八の七)
五 唐鍬の出所(判決理由第八の五)
六 草履(井戸端にあつたもの)および手桶(判決理由第八の四)
七 被害者の死体と井戸の状況等(判決理由第八の一、二)
八 被告人のレインコートの紛失(判決理由第八の八)
九 佐藤好武鑑定書
一〇 レイの胃内にあつた獣肉(判決理由第八の三)
一一 一一月二五日朝の被告人の行動(判決理由第七の四)
一二 福助印ワイシャツのA型人血痕の附着(判決理由第七の二)
一三 牛小屋二階のワラ束と乾草束の下から発見された草履(判決理由第八の六)
一四 結論
第七 損害
一 主任弁護人石川六郎関係に要した経費
二 特別弁護人石井光治関係に要した経費
三 原告が直接支払つた経費(行動費)
四 裁判記録等の謄写材料費
五 殺人事件の被疑者および被告人にされたための減収額
六 慰謝料
七 国家賠償訴訟費用
(一) 代理人に対して支払うべき費用
(二) 石井光治に対して支払うべき費用
第八 結論
裁判所の表示
別紙(第一ないし第三は原告の主張、第四ないし第六は被告らの主張)
第一 被告らの別紙第四の主張に対する答弁と主張
第二 被告らの別紙第五の主張に対する答弁と主張
第三 唐鍬凶器論および着衣血痕付着論など―佐藤好武技術吏員の鑑定の違法と故意過失について
第四 捜査および公訴の提起と維持について
第五 逮捕、取調べおよび控訴の提起と維持について
第六 原告の別紙第三の主張に対する答弁と主張
別表 「損害表」(原告の主張)
別紙内訳第一 主任弁護人・石川六郎関係に要した経費
第二 特別弁護人・石井光治関係に要した経費
第三 原告が直接支払つた経費
第四 裁判記録等の謄写材料費
第五 殺人事件の被疑者および被告人にされたための減収額
第六 殺人事件の被疑者および被告人にされたための減収額追加
原告
石井芳美
右訴訟代理人
大塚一男
外一名
被告
国
右代表者
植木庚子郎
被告
福島県
右代表者
木村守江
被告ら指定代理人
高桑昭
外三名
主文
一 被告国は、原告に対し金六一五、四八九円および内金五〇四、九九〇円に対する昭和四〇年四月一一日以降支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告の被告国に対するその余の請求および被告福島県に対する請求を棄却する。
三 訴訟費用中、原告と被告国との間に生じた分はこれを一〇分し、その九を原告の負担とし、その余を同被告の負担とし、原告と被告福島県の間に生じた分は、原告の負担とする。
事実
一 原告の主張
原告訴訟代理人は「被告らは、原告に対し各自金四、八五三、七三〇円および内金四、一六三、七三〇円に対する昭和四〇年四月一一日以降支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、被告らの負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、
「(一) 昭和三三年一一月二五日午前七時頃、原告の妻訴外亡石井レイが原告の肩書住所地の原告方井戸の中で、死体となつて発見される事件が発生したが、福島県棚倉警察署警察官は、同年一二月一日原告のレイに対する暴行・殺人・死体遺棄を被疑事実とする逮捕状に基づき原告を逮捕し、以後拘禁して取り調べたのち、同月三日事件を福島地方検察庁白河支部検察官に送致した。同支部検察官検事訴外石川惣太郎は、同月四日棚倉簡易裁判所裁判官に対し原告の勾留を請求して同日勾留状の発布を得てこれを執行し、原告の取り調べを継続したうえ、同年一二月二三日、「被告人(原告)は、昭和三三年一一月二四日夜、東白川郡鮫川村大字赤坂西野字酒垂六四番地の自宅東方脇井戸端附近において、妻レイを殺害する意図のもとに唐鍬のみねで同女の頭部、顔面等を数回殴打した上、井戸に投け込み右殴打により脳震盪死に至らしめ、以て殺害の目的を遂げたものである。」との公訴事実をもつて、原告を被告人として福島地方裁判所白河支部に対し公訴を提起し主張立証を遂げたが、同裁判所は同三五年一二月二一日原告に対し無罪の判決を言い渡した。前記検察官は、右判決に対し同年一二月二八日仙台高等裁判所に控訴を提起しさらに主張立証を遂げたが、同裁判所は、同三七年三月二〇日控訴棄却の判決を言い渡し、同年四月四日上告期間の経過により、右判決は確定した。原告は、逮捕されたのち右第一審判決言渡の日まで、七四九日間身柄を拘禁された(但し、途中五日間の勾留執行停止期間がある。)。
(二) 原告は、無実であるのに、右警察官・検察官らは、故意または過失により証拠の判断を誤り、事実を誤認して原告に対し違法に右の如き処分をしたものである。また福島県警察本部鑑識課警察技術吏員訴外佐藤好武は、捜査機関の依頼により右事件の証拠物につき鑑定書を捜査官に提出したが、右鑑定書は、検察官の起訴・控訴提起に重大な原因を与えたものであるところ、これは、佐藤好武が故意または過失により誤つた鑑定結果を記載したものであつた。以上に関する詳細な主張および被告らの主張に対する反論は、別紙第一(被告らの別紙第四記載の主張に対する答弁と主張。これは、原告の昭和四一年六月二九日付準備書面の要約である。)、第二(被告らの別紙第五の主張に対する答弁と主張。これは、原告の同四一年一二月一五日付準備書面の要約である。)、第三(唐鍬凶器論および着衣血痕論など佐藤好武技術吏員の鑑定の違法と故意過失について。これは、原告の同四〇年一〇月二六日付準備書面の要約である。)記載のとおりである。
(三) 以上の被告国または被告福島県の公権力の行使にあたる公務員のなした共同不法行為により、原告は別表「損害表」記載のとおり損害を蒙つた。
よつて原告は、国家賠償法第一条第一項に基づき、被告らに対し各自右損害および内金四、一六三、七三〇円(損害のうち国家賠償訴訟費用を除いた部分)に対する訴状送達の翌日である同四〇年四月一一日以降支払い済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うよう求める。」
と述べ、被告らの時効の抗弁に対し、「本件損害賠償債権の消滅時効は、前記無罪判決確定のときから進行をはじめ、昭和四〇年四月二日本訴の提起によつて中断されたものである。」と述べた。
二 被告らの主張
被告ら指定代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。」との判決および担保を条件とする仮執行免脱の宣言を求め、請求原因に対する答弁として、「請求原因(一)の事実および同(二)の事実中佐藤好武が原告主張の地位にあり、本件事件の確定をなし鑑定書を捜査官に提出したことは認めるが、その余の事実と主張は争う。佐藤は、右鑑定書の提出に関する限り、証人のなす証言と同じく、刑事訴訟法二二三条による鑑定受託者にすぎず、公権力の行使にあたる公務員とはいえない。逮捕、勾留、公訴・控訴の提起と維持、原告の取調べ、右鑑定は、いずれも適法に行なわれたものである。その詳細は、別紙第四(被告らの同四一年三月二三日付準備書面の要約)、第五(被告らの同四一年一一月一八日付準備書面の要約)、第六(被告らの同四〇年一二月二三日付準備書面の要約)記載のとおりである。」と述べ、抗弁として、「仮に原告主張のように違法行為がなされたとしても、原告は、各違法行為のなされたときその損害および加害者を知つていたから、右各違法行為を原因とする損害賠償債権は、同四〇年四月二日の本訴提起のときより前に、いずれも三年の時効期間満了によつて消滅した。」と述べた。
三 証拠<省略>
理由
(前注)
以下において、間接事実に関する自白については、前記事実摘示に明らかであるから、必ずしもいちいち当事者間に争いがない旨をことわらない。また、書証については、特に記載しない限り真正に成立したことに争いがないものである。特に年を示さないときは昭和三三年を意味する。
第一事件の経過
請求原因(一)の事実は、当事者間に争いがなく、右争いのない事実と、以下各項末尾の括弧内に記載した証拠によると、その項記載の事実を認めることができ、右認定を覆えすに足る証拠はない。
一捜査の着手
(一) 異常死体発見
昭和三三年一一月二五日午前八時頃福島県東白川郡鮫川村西野巡査駐在所から同県棚倉警察署に対し異常死体を発見した旨の電話報告があり、同警察署巡査部長相楽芳太郎、巡査木村光夫は、午前一〇時頃現場である原告方居宅に到着し事情調査に着手した。その結果石井レイの死体には、顔面右前額部に長さ約四センチメートル、右眼瞼に長さ約二センチメートル、鼻根部にY字型の長さ約二センチメートル、後頭部に長さ約五センチメートルおよび六センチメートルの裂創やその他各所に古い皮下出血を伴う打撲傷がみられた。死体の検案に当つた医師有賀政徳は「右裂傷は井戸の縁等で打つたり、その場に転んだりして出来た傷ではなく、他から打たれた傷」であり「他殺」であると判断していたほか、井戸の状況から推してもレイの過失による墜落死というようなことは考えられないところであつた。
(二) 実況見分
そこで同警察署担当官は、レイが何者かに殺害されたものと判断して捜査を開始し、同日午後一時四〇分頃から、警部補蛭田一は、巡査八島荘一郎、同木村光夫を補助者として、原告方井戸およびその周辺、レイの死体などにつき実況見分を行なつたが、その結果つぎのことが認められた。
1 井戸の形状は、御影石製の縁を地上に一二センチメートルほど出した八角形をなし、差し渡しは縁石内面より内面まで(内径)八四ないし八九センチメートル深さ一、四一メートルほどである。
2 井戸蓋の形状は、半月型の木板二枚からなり、そのうち南側の一半は単に井戸縁にかぶせて置くだけであるが、北側の一半は、井戸縁の北側半分にコンクリートでできた溝にはめ込むようになつており、これを取りはずすには、そのまま上に持ち上げるのでなく、手前(南側)に引いてはずすようになつていた。見分時には右北側一半が所定の位置にはめ込まれていた。なお見分に際し右北側一半をとりはずしたところ、井戸蓋と井戸縁との間に枯葉四・五枚のほか、二枚の青葉が存在した。
3 井戸に続く洗い場の上に、井戸縁南西角より七〇センチメートルはなれて、つま先を井戸の方向に向け表を上にしたゴム草履が、左右約四五センチメートルの距離をおいておおむね平行に置かれており、右ゴム草履の左足に接して水汲み用の手桶が倒れていた。見分に立ち会つた原告は、右ゴム草履はレイが履いていたもので、手桶はレイが水汲み用に使つていたものであると説明した。
4 井戸の内壁面北側ないし北東側(右はめ込み式一半の下部にあたる)には、井戸口から七ないし五〇センチメートルの長さで、最大幅二五センチメートル、同じく二九ないし四〇センチメートルの長さで最大幅三〇センチメートルにわたつて、いずれもぬりつけた如くで、べつとりとし、いまだ乾燥していない血液様のものが附着していた。四囲の状況から、これらは血痕であると判断された。
5 前記洗い場に、肉眼でようやく識別できる程度の薄い淡赤色の痕跡が認められ、その状況から洗い流された血痕と考えられた。このことと右34とから、井戸周辺が犯行現場であると判断された<証拠略>。
二死体解剖
一一月二六午後一時から福島県立医科大学法医学教室黒田直教授により、原告方裏地でレイの死体解剖が行なわれた。同教授は、「レイの死因は頭部打撃に基づく脳震盪である。頭部顔面の挫創を生ぜしめた凶器は、かなり重量があつて先端が鋭角的な直線状の辺縁を呈する幅4.0センチメートル以下、おそらく三センチメートル前後の打撃部(衝突部)を有する鈍器であり、レイは、このような凶器で、顔面を前から一回、右後上方から前頭部を一ないし二回、後方から後頭部を三回、少なくとも五回以上強く叩かれた。」と推定した(以上のことは、当事者間に争いがない。)。その他の解剖所見によれば、「レイの死体には全身に大小多数の皮下出血があり、これは特に左右肘部左右膝部に集中し、左前腕部では尺骨側に多く(これは一種の防衛創的性状である)、これらの皮下出血は前記挫創とは別の原因により生じたものである。レイの血液型はABO式A型である。死後解剖着手時(一一月二六日午後一時)までの経過時間は、およそ一日以上二日以内と推測される。」というにあつた。
三原告からの事情聴取
一一月二六日松本三夫巡査部長は、原告を被害者の夫として被害関係の事情を聴取した際、原告は、「自分は一一月二四日午後八時三〇分頃自宅で就寝し、翌二五日朝長男富一からレイが井戸の中で死んでいるといつて起こされるまで外出はしていない。」と述べた(このことは、当事者間に争いがない。)。
四 現場のルミノール検査
一一月二七日同警察署蛭田一警部補は、検証許可状により原告方井戸およびその傍の風呂場とその付近一帯につき検証を実施したが、その際ルミノール化学発光検査(以下ルミノール検査という。)をしたところ、井戸蓋の一部や井戸内壁などのほか、井戸の周辺に密生する「岩ヒバ」などの草木、前記洗い場、井戸より西北方風呂場付近に至る通路、風呂場の入口坂戸、壁などに多数の陽性反応を認めた<証拠略>。
五聞込み捜査
他方、警察官による聞込み捜査の結果は、つぎのようであつた。
(一) 石井利夫
一一月二八日石井利夫は、木村光夫巡査に対し、「同日隣部落の者らが、レイ埋葬の穴を掘るため原告に原告方の唐鍬の所在場所を尋ねたところ、原告は確答をさけ顔面蒼白になりあわてていた。なお右唐鍬は一一月二四日午後四時三〇分頃、原告の長男富一が井戸前の水田でどじよう取りに使つていたものである。」旨答えた(証拠略)。
(二) 森モト
一一月二九日森モトは、松本三夫巡査部長に対し、「原告とレイの夫婦仲は、従前から円満を欠いていたが、一一月九日昼頃原告とレイとが夫婦喧嘩をして、レイは養家(後に説明する白坂家)に戻つた。同日夜養母(白坂コフミ)がレイをともなつて原告方に来て原告と話していたが、原告は大声を出していた。翌日原告の母(石井ナミ)に聞いたところでは、『レイがあやまつて来たが原告が拒んだので、レイはまた養家に帰つた。』とのことであつた。一一月一〇日午後八時頃レイは一人で原告に会いに来たが、原告は『出て行け。』などと大声を出しながら足でレイを蹴つたようだつた。レイが蹴られて土間に落ちたところ、原告はどのあたりかわからないが手でレイを殴つた。頭の毛もつかんだような気がする。以上は目撃したところで、そのあとレイは、再度養家に帰つた。一一月一八日夜以降レイは原告方に戻るようになつた。」旨供述した。なお森モトは、同三三年四月以降原告方に、住み込みで手伝いとして雇われていたものである(証拠略)。
(三) 鈴木ツメ
一一月二九日鈴木ツメは、蛭田一警部補に対し、「一一月二五日午前七時頃自分は原告の隣家石井忠夫方で、同人と世間話をしていたところ、富一から「レイが井戸に入つた。」旨の報告を受け、すぐにとび出した。石井忠夫も寝巻姿のままで鈴木ツメよりも早くとび出し、井戸についたときには素足で、寝巻も途中で脱ぎ捨てていた。他方原告は、既に井戸端にいたが、カーキ色の上衣を着て、ズボンとゴム長靴をはき、きちんとした服装であつた。」旨供述した。なお鈴木ツメは、原告の隣家の住人である(証拠略)。
(四) 石井忠夫
佐藤吉三巡査部長は、同日石井忠夫からも右同様の供述を得た(証拠略)。
(五) その他
警察官の聞込み捜査では、レイには痴情怨恨関係を推測させる事情は認められなかつたが、夫婦仲が円満を欠いていたこと、後に述べるように原告は手伝いの女性や大竹日出子(当時国島日出子と称していた。)との情交関係を結んだことなとなどの事実がうかんだほか、原告は、レイの死因につき、「朝霜が降り井戸端は滑りやすいので、誤つて滑つた結果井戸縁にでも頭を打つて、井戸に落ちて死んだものと思う。」旨述べていたことが判明した(証拠略)。
六 捜索差押えとルミノール検査
(一) 捜索差押え
一一月二九日蛭田一警部補は被疑者不詳の殺人被疑事件として、裁判官の発した令状に基づき原告方居宅とその附近との捜索差押を実施したが、その結果は、つぎのとおりであつた。
1 原告は、八畳間洋服タンス内より一一月二四日開催の鮫川村文化祭に着用の背広である旨説明して焦茶色背広三つ組み一着を差し出したので、これは押収された。
2 原告方居宅西側棟続き下屋の、むしろの上に脱ぎ捨てられていたカーキ色木綿上衣と茶コール天ズボン一着が押収された。
3 原告方居宅一五畳間南西隅よりカーキ色毛布地上衣一着が押収された。
4 原告方便所便つぼの汚物中から、新聞紙に包まれた日誌・手紙・写真類が発見、押収された。これらは、後にみるとおり、原告と大竹日出子との恋愛関係を示すものであつた。
5 原告方居宅西側牛小屋二階のワラ束・乾草束の間から、ゴム草履一足が発見、押収された。
6 右牛小屋と便所との間の物置内の数十束のワラ束とかや一束の下から、竹製の籠の中に差し込まれた唐鍬一丁が発見され、籠と唐鍬とが押収された。
(二) ルミノール検査
1 右唐鍬につき、発見場所でルミノール検査をしたところ、陽性反応を示した。捜索差押えに立会つた石井裕也(原告の弟)、石井忠夫も右陽性反応を認め、これが前日の穴掘りの際さがしたが見つからなかつた唐鍬である旨述べた。
2 右のうち、草履と焦茶色背広三つ組みにつき、同日警察官が棚倉警察署においてルミノール検査をしたところ、その一部が陽性反応を呈した。翌三〇日石井富一は、警察官に対し、「右草履は原告方のもので、誰のものとも決まつておらず、みんなで履いている。自分は、牛小屋二階で遊んだことはない。」旨述べた(証拠略)。
七逮捕
棚倉警察署司法警察員は一一月三〇日おおむね以上の捜査結果に基づき、原告を石井レイ殺人等の被疑者として裁判官に逮捕状を請求しその発布を得たうえ、一二月一日午前七時五六分これを執行した。逮捕状に引用された逮捕状請求書の被疑事実の要旨は、「原告は、(一)昭和三三年一一月一〇日頃の午後七時三〇分頃居宅内において、レイに対し、同人の身体を殴打足蹴りなどし、転倒せしめるなどの暴行をした。(二)夫婦不和が動機となつて、レイを殺害しようと決意し、同月二四日夜居宅前井戸端付近において、鈍器様の凶器をもつてレイの顔面、頭部を数回殴打し、同部に長さ四ないし六センチメートルの骨膜に達する挫創などを与え、その頃同所でレイを殺害した。(三)その頃右殺害されたレイの死体を井戸の中に墜落隠匿して、遺棄した。」というものであり、その疎明資料は、被告らの別紙第四の三項記載のとおりであつた(証拠略)。
八逮捕後の捜査
その経過は次のとおりである。
(一) 唐鍬、焦茶色背広などについての鑑定(佐藤第一、第二鑑定)
1 棚倉警察署長は、一一月三〇日、福島県警察本部に焦茶色背広三つ組み、カーキ色木綿上衣、カーキ色毛布地上衣、茶コール天ズボン、ゴム草履、唐鍬につき血痕附着の有無、附着の際の血液型、ならびに唐鍬につき、指紋の鑑定を嘱託し、同本部刑事部鑑識課所属技術吏員佐藤好武が鑑定にあたり、一二月四日鑑定書が作成された(以下これを佐藤第一鑑定、あるいは佐藤第一鑑定書という。)。
その鑑定結果は
「(1) 焦茶色背広三つ組みの上衣、チョッキ、ズボンの前側に、微細点状飛抹様血痕が附着する。
(2) カーキ色木綿上衣に、血痕の附着が発見できない。
(3) カーキ色毛布地上衣の右前側と左袖口の後側とに血痕が附着する。
(4) コール天ズボンの腰の附近に、血痕が附着する。
(5) ゴム草履の緒、表、裏に、血痕が附着する。
(6) 唐鍬の柄と鍬とに人血痕が附着し、その血液型はA型と思料される。
なお、(1)、(3)ないし(5)の血痕については、附着量が僅微なため、ルミノール検査をするにとどめた。これらにつき人血痕か否かの検査(血清学的検査)および血液型の検査は、実施困難である。
(7) 唐鍬に指紋は発見されない。」
というのであつた(証拠略)。
2 棚倉警察署長は、一二月八日同本部に井戸蓋など七点の血痕鑑定のほか、再度右焦茶色背広三つ組みにつき血痕鑑定を嘱託し、佐藤好武が裁判官の鑑定処分許可状に基づき鑑定にあたり同月一五日鑑定書が作成された(以下これを佐藤第二鑑定あるいは佐藤第二鑑定書という。)。
その鑑定結果は、「右焦茶色背広についてみれば、上衣に人血痕の附着が認められ、その血液型はA型と思料される。」というものであつた(証拠略)。
(二) 福助印ワイシャツの鑑定(佐藤第三鑑定)
一二月一日原告の逮捕に際してなされた捜索の結果、原告方居宅八畳間洋服タンス内より、福助印白ワイシャツ一枚、石井ネーム入り白ワイシャツ一枚などが発見され押収された(原告が、「一一月二四日文化祭に着用したワイシャツは、右二枚のいずれかである。」旨述べて提出したもの。)が、棚倉警察署長は、一二月一日これらにつき、前同様鑑定を嘱託し、佐藤好武が鑑定にあたり、一二月四日鑑定書が作成された(以下これを佐藤第三鑑定、あるいは佐藤第三鑑定書という。)。
その鑑定結果は、「福助印ワイシャツの左右袖口に人血痕の附着が認められ、その血液型はA型と思料される。石井ネーム入りワイシャツに、血痕附着は認められない。」というものであつた(証拠略)。
(三) 原告らの血液型検査
医師和田良夫と佐藤好武とにより、原告とその家族全員との血液型の検査が実施されたが、原告はO型、母ナミはB型、次男勝義はO型、長女登志子、長男富一、次女三和子はいずれもA型、なお前記森モトはA型であることが判明した(証拠略)。
(四) その他
後述のとおり、警察官、検察官により、本件前後の原告とレイその他関係人の行動、原告とレイとの夫婦仲、外部犯行の可能性、前記福助印ワイシャツにレイ以外の者のA型血液が附着する可能性などにつき、原告や参考人の取調べが行なわれた(証拠の詳細は、後に関係箇所で判示するとおりである。)。
九公訴提起
おおむね以上のような捜査のもとに、福島地方検察庁白河支部検察官検事石川惣太郎は、一二月二三日原告を被告人として公訴を提起した。その公訴事実の要旨は、「原告は、昭和三三年一一月二四日夜、居宅井戸端附近においてレイを殺害する意図のもとに、唐鍬のみねでレイの頭部、顔面等を数回殴打したうえ、井戸に投げ込み、右殴打により脳震盪死に至らしめてレイを殺害した。」というもので罪名は殺人であつた(証拠略)。
一〇冒頭陳述
同検察官は、昭和三四年一月二八日冒頭陳述書をもつて、大要つぎのとおり主張した。
(一) 原告は、就寝中長男富一からレイが井戸の中にいるとの報告を受けたが、その際身仕度をしてから現場に行くなど、隣人石井忠夫に比して落ち着いた態度であつた。
(二) 本件は他殺であることは明白であるのに、ゴム草履と手桶とが井戸端に置いてあつたが、これは原告が過誤死を擬装したものである。
(三) 唐鍬が兇器で、これは犯行後物置内に隠されていた。右唐鍬のみね附近にレイと同型のA型人血痕が附着している。
(四) 原告が事件当夜着用していた焦茶色背広上衣、チョッキ、ズボンと福助印ワイシャツにA型血痕が附着している。
(五) 原告とレイの夫婦仲は円満を欠いていたうえ、事件前日の夜原告はレイに無断で宿直し、同日原告は愛人大竹日出子に会い、レイはこのことを知つていた。
(六) 原告は事件当時九〇余万円の借財を負い、レイを被保険者、原告を保険金受取人とする二〇万円の生命保険契約を締結していた。
(七) 事件当夜原告方に外部からの出入りがなく、原告方の家族は六八才の老母と八才・七才・五才・二才の子供だけである。
(八) レイには、男関係および怨恨関係が、全くない(証拠略)。
一一第一、第二審の審判
審理の結果第一審裁判所は、犯罪の証明がないとして第一冒頭記載のとおり無罪の判決を言い渡し、第二審裁判所も犯罪の証明がないとして、前記のとおり控訴棄却の判決を言い渡し、これが確定した(証拠略)。
第二時効の抗弁
原告の請求原因は、警察官、検察官のなした右逮捕、勾留公訴の提起、控訴の申立、原告に対する取調べおよび佐藤好武の鑑定の違法を原因として、国家賠償法第一条第一項に基づき、被告らに対し損害賠償を求めるというのであり、この損害賠償債権の消滅時効については、同法第四条により民法第七二四条の適用を受ける。ところで、民法第七二四条の「損害を知る」とは、単に損害が生じたことを知つただけでは足らず、それが違法行為によつて生じたこともあわせ知ることを要すると解すべきであるが、本件の如く犯罪の捜査、公訴提起などにより、被疑者、被告人とされたため損害を蒙つたという場合には、当該刑事事件の進行中に損害が発生し、かつこのことを知つたとしても、それだけで直ちに右の行為が違法行為であることを知つたということはできず、無罪判決等が確定したとき、はじめてこれを知つたことになると解するのが相当である。なぜなら、これらの行為が違法であるか否かは、それ自体刑事裁判上争われ、あるいは通常近い将来刑事裁判上争われるべきものであるところ、その点は、刑事裁判所の最終的判断を経たとき最も明確になり、被害者もこれを知りうるからである。もしそうでないとすれば、被害者は刑事手続きが長期化した場合、時効中断のため、刑事手続き中であつて捜査機関の行為の違法性がいまだ明らかでないのにそのある行為をとらえて損害賠償を請求しなければならない立場に追い込まれ、これは容易なことでなく、被害者の救済に欠けるところを生ずるであろう。ところで、本件訴状が前記判決確定の日である昭和三七年四月四日より三年の期間内である昭和四〇年四月二日に当裁判所に受理されたことは、記録から明らかである。よつて、消滅時効は中断されて完成せず、被告らの右抗弁は、採用できない。
第三公訴の提起・維持の違法性と故意・過失
一一般原則
検察官は国の公権力の行使に当る公務員であり、公訴の提起・維持をその職務とするものである。ところで、公訴の提起は、将来有罪判決を得ることのみを目的とすべきであるから、その性質上、有罪判決を得られると判断すべき合理的根拠が存在するときにのみ許されるものであつて、それ以外の場合は許されない。すなわち、この合理的根拠が存在する場合になされた公訴の提起は適法であり、それ以外の場合は違法ということになる。従つて、以下においてこの合理的根拠の存否を判断するのである。この場合、公訴の提起当時と判決の時とでは、判断の基礎となる証拠の質量に差があり得るし、証拠の評価につき自由心証主義がとられている関係上ある程度の個人差が生ずることは否定できないところであるし、しかも公訴の提起と裁判所の審判とでは人的物的時間的法的制約を異にしているから、裁判官が犯罪の証明がないものと判断して無罪の判決を言い渡し、これが確定したという結果を生じたとの故にそのことだけで検察官の判断に右の合理的根拠がなかつたとはいえない。このような場合には、右の如き証拠の質量と評価ならびに制約の差異を前提としたうえで、検察官の判断が正当であつたか否かを判断すべきである。すなわち、検察官が現に収集した証拠に限らず、通常の検察官であれば当然収集し得た証拠をも基礎として、検察官の判断が、右の如き差異を考慮しても、なおかつ経験則と論理則にもとづく自由心証のわくを逸脱したと認められるような場合には、検察官の判断に合理的根拠があつたといえず、公訴の提起・維持は違法となるものと考えられる。
そして、検察官が右のような合理的根拠がないことを知りながら、あえてこれをなしたとき検察官に故意があり、通常の検察官として所与の条件のもとでなすべき注意を払えば合理的根拠のないことを知りえたのに、これを怠つたときに、過失があることになるわけである。
そこで、以下被告らの主張に従つて合理的根拠の有無を順次判断する。まずレイが何者かに殺害されたものであることは原告も明らかに争わないところである。
二死体発見前後の原告の行動
(一) 事実
<証拠>によると、警察官および検察官は、公訴提起前参考人石井富一、石井登志子、大竹日出子、鈴木ツメ、石井忠夫、国島義広、白坂コフミおよび原告を取り調べた結果、総合してつぎのような趣旨の供述を得ていたことを認めることができる。
「原告は、一一月二五日午前七時頃自宅で就寝中であつたがレイの死体を最初に発見した長男富一は、就寝中の原告に報告のため『父ちやん。』と呼びかけ、原告から『なに?』ときき返されたのに対し、さらに、『母ちやんが井戸の中に入つちやつた。』と告げると、再び原告から大声で『なに!』といわれたので、泣きながら、『母ちやんが井戸に入つて死んでしまつた。』というと、原告は、起き上がつて、『ばつば(原告の母ナミのこと)にいえ。』『忠夫さん(原告方西隣の住人石井忠夫)を呼ばつて来い。』といつて、そのころ着用していた丸首長袖シャツ、メリヤスシャツ、パンツ、ズボン下の上に、乗馬ズボンをはき、八畳の間の釘にかかつていたカーキ色毛布地上衣を着、ナミに『ばつば、大変だ。』と声をかけて、入口の土間にあつたゴム半長靴をはき、井戸にかけつけた。他方、富一から知らせを受けた石井忠夫は、そのころ身につけていた寝巻姿のまま、素足で飛び出し、途中寝巻も脱ぎ捨て、シャツ姿になつて井戸にかけつけた、遅れて鈴木ツメもかけつけた。原告と石井忠夫とはレイの死体を井戸から引き揚げて原告方炉端に安置し、その際レイの顔面の創傷を目撃した。鈴木ツメは原告の服装が整つているのに気づき、原告に対し、『よく服を着る時間があつたね。』と聞くと、原告は、『いつもきちんとしている。但しどうして着たり、はいたりしたか覚えていない。』と述べた。原告は、その後原告方にかけつけたレイの養親白坂勝弥、コフミ夫婦、大竹日出子らに対し、尋ねられるまま、『レイは自殺したのではない。水汲みに来てすべつて頭を打つたと思う。』とか、『稲運びで疲れて目まいでもおこして落ちたと思う。』などと述べた。」
そしてこの点を左右するに足りる証拠はない。
(二) 評価
1 右の原告の言動は、つぎのような不自然さを含んでいるといえる。
(1) 富一は、当時七才の子供であるから、このような異常な知らせを受けた場合、原告としては半信半疑であるべくまず自ら現場に駆けつけて、事態を確認した後近隣の者に助けを求めるのが自然である。ところが原告は、知らせを受けるや確認もせずに直ちに隣家の石井忠夫を呼ぶように言つている。
(2) このような知らせを受けた場合とるものもとりあえず現場に急行するのが人情でもあり自然でもある。ところが原告は、特にその必要性も認められないのに、上衣と乗馬ズボンを着用し、ゴム半長靴をはいて井戸端にかけつけている。隣人石井忠夫が寝巻のまま飛び出した行動と比較しても、原告は落ち着きすぎているようで不自然である。
(3) レイの創傷が、原告の言うような理由で生じたと述べたことも、その創傷の状態を見た者の言としては、不自然である。
2 以上の点は、原告がきちようめんな性格であること、事故原因をこのように述べたのも、世上はばかれる自殺ではないことを強調するためであつたことを前提としても、やはりいかにも不自然であるとの印象を禁じ得ない。このことは、結局原告が事前に本件を知り、事故原因を作為的に弁明していたのではないかと疑わせ得るものであつて、原告に対し嫌疑を生ずる情況的事実の一つとして評価し得ないものではない。
三草履(井戸端にあつたもの)および手桶の偽装
(一) 事実
第一の一(二)3で認定したとおり、一一月二五日の実況見分時、井戸の近くにあつた草履は、表を上にして、左右いずれも足先を井戸の方に向けて、おおむね平行に置かれてあり、左足に接して手桶が倒れていたが、原告は、右ゴム草履は、レイが履いていたものであり、手桶は、レイが水汲み用に使つていたものと説明した。<証拠>によると、死体発見後警察官が、はじめて井戸端に到着した時刻は、同日午前一〇時頃であり、その時既に草履と手桶は右の状態にあつたことが認められ、死体発見後左右時刻までの間に草履と手桶の置場所に意識的な変更が加えられたとうかがうに足りる資料はないから、草履と手桶は、死体発見直後からおおよそこのような状態にあつたものと推認される。このことは、後の刑事第一審における証人石井常弥の証言<証拠略>によつても裏付けられる。
(二) 評価
この草履と手桶の配置は、レイが誤つて井戸に落ちたと見せかける偽装とみられるか否かを検討する。
1 まず、レイの死体にみられる創傷からして、レイが強力かつ執ような攻撃を受けて死亡したことは明らかであるが、このような被害者の履いていた草履が、右の如く整つた状態で残されることの可能性は、極めて乏しいのであつて、レイの死後何等かの理由で何者かがこのような人為的な状態を作り出したと推測するのは、不合理なことではない。死体発見後警察官が到着し、現場保存が図られる以前に、井戸端に集つた原告や近隣の者によつて、無意識的に草履や手桶の状態に変更が加えられたということも、考えられないわけではないが、たとえそうであつても、原状が警察官の現認したところと大きく相違するものでないことは、右石井常弥の証言(証拠略)によつて明らかである。
2 右の草履と手桶の状態は、レイが自殺したとかあるいは水汲みに来て誤つて井戸に墜落したとかの印象を与え得るものである。
3 死体発見前に人為的に右の如き印象を与える状態が作り出されたと考えられる以上、これは犯人が、自殺死・過誤死と見せかけるためなした偽装工作であると推測することも不自然ではない。
4 原告が、前記の如く、「レイは誤つて井戸に落ちた」などと述べたことは、原告が偽装工作をしたものと推測する手がかりになる。レイと面識のない犯人ならば、面識ある者と比較して偽装工作をする必要性が、一般的には乏しいと考えられることも、右推測の補強となろう。
5 このように考えてみると、右草履、手桶の状態を、原告に対して嫌疑を生ずる情況的事実の一つとして、評価し得ないものではない。
四井戸蓋の構造
(一) 事実
本件井戸蓋の半月型の木板二枚のうち、北側の一半は、溝にはめ込むようになつており、手前に引かない以上取りはずすことができないものである。死体が発見された時には、この蓋は、所定の場所にはめ込まれていた。実況見分に際し警察官が蓋をとりはずしたところ、蓋と井戸縁の間に、枯葉四・五枚のほか、二枚の青葉が発見された。この蓋の下部にあたる井戸壁内面に、相当広範囲に、相当量の血痕様のものが附着していた。以上の事実はすでに第一の一(二)24で認定した。<証拠>によると、この血痕様のものはレイと同型のA型人血痕であると認められる。<証拠>によると、原告方居宅は、山間の小部落で公道から奥まつた地点にあるうえ、井戸はわずかに地上に露出しているにすぎず、土手や草木にさえぎられて、その所在が一見して明らかである状態にないことを認めることができる。
右の事実と、<証拠>とによれば、犯人は、レイに対し死因となるべき重傷を与えたのち、井戸の北側の蓋を取りはずし、レイを井戸の中に投げ込んでから、再び蓋をしたものと認めるのが相当であり、右認定を覆えすに足る証拠はない。
(二) 評価
右認定の事実によれば、犯人は、原告方の事情にある程度通じかつレイに対し何らかの特殊の感情を有する者であると推認するのが相当である。なぜなら、井戸蓋の開閉には右の如き操作を必要とするのであつて、夜間、犯行の直後において、わざわざこのような操作をして蓋を取り、死体を投げ入れたのち再度これをはめて逃走するというようなことは、行きずりの犯人には思い及ばないところと考えられるからである。ところで、レイに対し怨恨・痴情等殺人の動機となるような特殊感情を有するものは、捜査の過程においてはもとより、刑事第一、二審審理の過程を通じて、原告につき後記の事情があるほかは、証拠上全くうかばなかつた。もつとも甲第五一号証(原告の刑事第一審裁判所裁判長宛上申書)、同第五三号証(第二審の弁論要旨)中には、レイと白坂正信との間に、かつて恋愛関係があつたという部分があるが、これを確認する資料はないのみならず、<証拠>によると、白坂は、このことを否定している事実が明らかである。
そうすると、右の如き操作をしたのは原告ではないかと疑うのは不自然とはいえず、このことは原告に対し嫌疑を生ずる情況的事実の一つとして評価し得ないものではない。
五挫創の数と皮下出血(付・獣肉問題)
(一) 事実
レイの頭部・顔面の挫創からして、レイは、頭部・顔面を、前後から、少なくとも五回以上強打されたものと推認され、<証拠>によれば、レイの死体に見られた前記多数の皮下出血(第一の一(一)参照)は、頭部・顔面の受傷と同一の機会に受傷した可能性が存在し、かつ右挫創と皮下出血が異なる鈍器により生じたものであることが認められる。そして、両創傷の性状からみれば、レイは、まず皮下出血の傷害を受けたのち、頭部・顔面に傷害を受けたものと考えられる。
(二) 評価
叙上の事実からすれば、犯行現場は井戸周辺であると推認されるが、レイが致命傷となつた挫創を受けるまえ、皮下出血の原因となつた攻撃を受けている間(ちなみに、前記のとおり、皮下出血のうちには、防衛創的性状を示すものが多い。)、大声をあげて助けを求め、自宅に逃避するなどの方法をとることが考えられ、皮下出血が多数にのぼることからみて、その余裕もあつたと推測される。ところが、レイがそのような防衛行為をしたと認められる資料は見当らない。そうすると、犯人は、単にレイと面識があるというだけでなく、親族その他親しい関係にあつた者ではないかと推察することができ、このことは、原告に対し嫌疑を生ずる情況的事実の一つとして評価し得ないものではない。
(三) 獣肉問題
レイの解剖の結果、胃の中から獣肉やささげ豆が発見されたが、これはレイが殺害される前外出し、親しい間柄の男からもらつて食べたもので、その男が犯人であるとの可能性(獣肉問題)について検討する。
<証拠>によれば、右のとおり獣肉やささげ豆が発見されたことを認めることができるところ、レイが自宅でこれらを食べ得たと認めるべき資料はない。またレイがいつどこでこれらを食べたかは、刑事第一・二審の審理を経ても、判明したとは認められない。しかし<証拠>によるとレイは、一一月二四日手伝いの者を頼んで自宅の農事(稲上げ)に従事し、夜間も原告方家族(さしあたつて原告は除外される。)が就寝するまで自宅に居たことを認めることができるので、レイが外出して、食事をしたと考えることは、かなり困難であるし、レイに秘かにこのような食物を提供するような立場にある者がいたことをうかがわせる資料はなく、もとよりそのような者と本件犯行とを結びつけるに足るような資料もない。前記のような可能性は殆どないというべきである。
(四) その他
警察官、検察官が、当初レイの体の皮下出血(第一の一(一)参照)は、一一月一〇日頃原告の暴行により生じたものと判断していたとの点については、後に第四において説明する。
六犯行の動機としての原告とレイの不和
(一) 事実
<証拠>によると、警察官および検察官は、大竹日出子、船坂ノブエ、船坂みよ子、蛭田ハツイ、石井ハツヨ、石井半次、矢吹きく、森モト、石井ナミ、石井忠夫、白坂コフミおよび原告を取り調べた結果、総合してつぎのような趣旨の供述を得ていたことを認めることができる。
「原告は、昭和二三年四月三日レイと婚姻し二男二女をもうけ、同三〇年四月一日から、居村鮫川村役場に書記補として勤務していた。
原告とレイの仲は、結婚当初順調であつたが、次第に円満を欠き、原告は、時にはレイに対し殴る蹴るの乱暴を働くこともあり、原告の母ナミとレイの折合いも悪かつた。
原告は、もともと多情な性格の持主であつて、同三〇年四月頃から三一年春頃まで東白川郡棚倉町の料理屋に通つて女中数名と情交関係を持ち、昭和二八年六月から同二九年四月までと、昭和三一年五月頃から同年一二月頃までとの間原告方に住み込み手伝いとして雇われた蛭田ハツイとも度々関係して妊娠堕胎させ、同三二年三月一〇日から同年五月末日までの間、肺結核で東白川郡古殿町の病院に入院中でありながら、レイの妹大竹日出子(当時国島日出子)とも情交関係をもつた。原告は殊に大竹日出子がレイの妹であることからくる不倫の感情と大竹日出子に対する絶ち切り難い恋情に日毎思いなやみ、遂にはレイと離婚し一切を清算して再出発しようとさえ考えるに至つたが、実行するだけの決断をもてず、同年五月末日退院後も、同三三年二月頃まで、郡山市、白河市、東京都などの旅館で同女と関係を続け、妊娠堕胎までさせた。しかし大竹日出子が同年五月四日他に嫁いだので、原告はなお同人に強い未練を残しつつも、以後同人との関係に一応終止符を打つことになつた。
以上のことは、レイの自ら知るところとなり、性格の相違も加わつて、原告とレイの仲は深刻なものとなつていた。
このようなとき、同三三年一〇月下旬レイが、当時原告方に手伝いとして住み込んでいた森モトと原告との間に、肉体関係があることを他人にほのめかしたことから、これを知つた原告は憤激し、一一月九日レイに対し、その軽率な発言を責め、レイの事実上の養親である白坂勝弥方(実家)でよく反省して来るようにいつて同人方にレイを帰した。同日夜、白坂勝弥の妻コフミは、レイを伴つて原告方に赴き、原告に対し許しを求めたが、原告に受け容れられず、白坂コフミとレイとは、そのまま戻つてしまつた。翌一〇日頃の夜レイは、再度原告方に赴き、原告の許に帰りたい旨頼んだが、原告に拒まれ、そのまままた白坂方に戻つた。白坂家では、原告の強硬な態度からみて、レイに財産の分与を受けさせ子供も二名引取らせて離婚させるのほかないと考えるようになり、このことを、とりなしに入つた原告の隣人石井忠夫に話し、同人がこれを原告に伝えた。そのころ原告の態度は軟化し、同月一六日レイが、白坂コフミとともに原告方に着物などを取りに行つたところ、原告は、これを暖かく迎えて謝まつたので、レイは考え直し、同月一八日原告方に帰つた。
その後本件発生の日まで、原告とレイとの間は、格別波風なく、おだやかに経過した。」
この点を左右するに足る証拠はない。
(二) 評価
右の如く原告が和解のうえレイを迎え入れたものの、両者のしこりはその後も続き、一一月二四日当夜原告とレイとの間に何らかの契機で葛藤が再燃し、今度は追出す方法もない原告が、突発的に犯行におよぶとの可能性につき検討する。
1 一一月一八日レイが戻るまでの原告とレイの間柄が、極めて険悪な状態であつたことは、前述のとおりである。同日レイが原告の許しを得て戻り、本件犯行の日まで格別のことなく経過したとしても、このことをもつて右の如き長年月にわたる不和が完全に解消したことの証左とすることは困難である。そして森モトが警察官に対し、原告は、一一月一〇日夜原告方に一旦帰つて来たレイに対し殴る蹴るの乱暴をした旨供述していたこと(証拠略)、白坂勝弥・コフミ夫婦も検察官に対しレイからそのようなことを聞いた旨供述していたこと<証拠略>を考え合わせると、右のような家庭不和は、原告が本件殺人におよんだと仮定した場合の遠因と考えられないものではない。しかしこれだけでは原告が本件のような残虐な犯行におよぶことの直接原因であつたとはいえず、そのためにはなお直接的な動機の存するのが通常であろう。
2 ところでその直接的な動機として、原告が同日夜大竹日出子に会い、レイに無断で宿直したことから、原告夫婦間で争いが再燃し、憎悪の極致に達したことの可能性について項を改めて検討する。
七一一月二三日の原告の無断宿直、および役場での大竹日出子との面接
(一) 事実
<証拠>によると、警察官および検察官は、大竹日出子、石井登志子、石井富一、早川知子、鷺野谷志、大沢昭三、有賀岩男、青戸敏哉および原告らを取り調べた結果、総合して「原告は、本件の前日である一一月二三日鮫川村役場において、当時開催されていた文化祭見物かたがた遊びに来た大竹日出子と会つて、一〇分ほどの間お互の消息などを話し合つた。原告の子登志子、富一らがこれを目撃し、登志子は、同日レイにこのことを話した。同日は、役場の同僚吏員青戸敏哉が宿直する予定のところ、原告は、同人と宿直を交替し、役場の同僚および県立塙高校鮫川分校教諭一名とともに、同分校に宿直したが、この宿直は、事前にレイに連絡されなかつた。」旨の供述を得ていたことを認めることができ、この点を左右すべき証拠はない。
(二) 評価
右各供述によれば、原告と大竹日出子との再会は、いわゆる密会と評し得るようなものでなかつたのであり、無断宿直といつても、原告は他の宿直者と一緒に宿直したのである。従つて同日原告と大竹日出子との間に、会つて話をしたという以上の何事かがあつたとは考え難い。そして、後に第三の一四(一)2でみるように、一一月二四日夜原告とレイがこのことで争いをはじめたようなことは、原告方家族の誰も気附いていない。ただ、当時の原告とレイの間の間柄が、前項記載のような状態であつたから、レイが、他の家族の就寝後(他の家族は、原告とレイより先に就寝した。第三の一四(一)2参照)、原告の無断宿直と大竹日出子との再会に気をまわし、これが原因で争いが再燃したという可能性も考えられる。
八大竹日出子の手紙類の便所への遺棄
(一) 事実
第一の六(一)4で認定したとおり、一一月二九日捜索の際、原告方便所便つぼの汚物中から、新聞紙につつまれた日誌・手紙・写真類が発見され押収された。<証拠>によると、この日誌・手紙には、原告の大竹日出子に対するおさえ切れない恋慕の情や、同人を愛し、レイをうとんずる心情が連綿と書き綴られていること、そのほかに、蛭田ハツイの堕胎に要した費用と思われる金銭の領収証もあること、写真には、原告と大竹日出子が写されており、原告は、検察官の質問に対し、「この新聞包は、原告が昭和三三年五月頃右発見されたときと同じ状態で新聞紙に包み、原告の机のひき出しの中にしまつておいたものであるが、その所在は、原告とレイのほか誰も知らず、原告はレイに対し、これらを焼却すると約束していたが、それをしないでいたためレイが便所に捨てたものと思う。」旨供述していたことを認めることができる。<証拠>によれば、捜査、刑事第一・二審公判を通じて、右原告の供述のほかには、いつ、誰が、何のために捨てたのかを明らかにする確証が得られなかつたことが明らかである。
(二) 評価
1 右のような証拠から手紙等を便所に捨てた者は、原告とレイの二人のうちの一人であると考えるほかはない。原告方の他の家族で、このような処置をするような立場にある者は、見当らない。
2 レイが捨てたとすると、原告の右供述を前提とすれば、原告が焼却の約束を実行しなかつたため、レイはたまりかねて自ら便所に投げ入れたことになろう。しかし、少なくとも原告は焼却することを約束していたというのであるから、レイとしては、自ら便所へ棄てる前に、原告に対し約束を実行するよう要求することもあり得るのに、そのようなことをうかがわせる資料はない。<証拠>によれば、便所の汲み取りは、レイあるいは雇人森モトによつてなされていたと認められるから、便所に捨てる以上、汲み取りの際汚れた新聞包につき更に面倒な処理を必要とすることになり、他人に見られるおそれもある。また、原告は、自分の机のひき出しの中にしまつておいたというのであるから、レイが無断で捨てたとすれば、前記捜索によつて発見される前にこのことに気付くこともあり得よう。
このように、レイが捨てたと考えるには、不自然な点が多い。
3 むしろ手紙類の捨てられた場所が異常であり、手紙類の内容が本件との関係で原告に不利であることおよび<証拠>によれば、日誌・手紙類は、はなはだしくは汚染されておらず、ほとんど内容を読みとる程度に原形が保たれていると認められるので、手紙類は捨てられてから発見まで長期間経過したものとはいえないことなどをあわせれば原告が本件発生後レイとの不和の事実を示すこれらのものを敢えて便所に捨ててもつて嫌疑を免れようとしたと判定しても、必ずしも不合理とはいえない。従つてこのことは、原告に対し嫌疑を生ずる情況的事実の一つとして評価し得ないものではない。
九原告の借財とレイの保険金
原告が、本件当時金一〇〇万円近くの借財を負担していたこと、レイには、レイを被保険者、原告を保険金受取人とする金二〇万円の生命保険契約が締結されていたことは、当事者間に争いがない。<証拠>によると、警察官および検察官は、南条イク、松岡正宏、石井光雄、白坂勝弥、根本勇、根本アイ、高坂純二、白坂助之丞、石井常弥、および原告を取り調べた結果、これらの事実と、レイが事故によつて死亡した場合、原告は保険金全額の支払いを受けられるものであるとの事実を把握していたことを認めることができる。しかし右各証拠によるも、原告が当時借財の返済を特に強く要求されていたものとも認め難いし、保険金額は負債の五分の一程度に過ぎないことを考えると、本件を保険金めあての犯行と考えることは困難なので、これをもつて原告に対する嫌疑の根拠の一としたことは、薄弱というべきである。
一〇牛小屋二階より発見された草履
(一) 事実
第一の六(一)5で認定したように、一一月二九日の捜索で、原告方居宅西側牛小屋(物置)二階のワラ束・乾草束の間から、ゴム草履一足が発見され押収された。この点に関する捜査の結果は、つぎのようであつた。
すなわち、<証拠>によると、原告の母ナミは、警察官に対し、「右草履は、ナミの亡夫が病気で郡山市内に入院中購入した。四年ほど前より自宅土間の下駄箱に入れてあつた。これが二階にあつた理由はわからない。子供達が遊ぶときに持つて行つたものと思う。」旨述べたこと、<証拠>によると、原告の子供の登志子、富一は、いずれも検察官に対し、「右草履は自分が履いたことがあるので知つている。自分達のほか誰かが履いたかどうかは、わからない。」旨述べたこと、<証拠>によると、富一は、別に警察官に対し、「右草履はいつも皆で履いているものであるが、自分達は遊ぶときは表で遊び、牛小屋の上で遊んだことはない。」とも述べていたこと、<証拠>によれば、森モトは、検察官に対し、「右草履は見覚えがない。」旨述べたこと、<証拠>によれば、原告も検察官に対し、「右草履は見覚えがない。」旨述べたことがそれぞれ明らかである。
(二) 評価
1 右各供述から判断すると、(1)右草履は、原告方家族(森モトも含めて)が日常使用していたものとは認め難く、(2)ただ子供達は、右草履を履いたことがある、というべきである。右(1)に反する証拠(編注・富一の供述)は、原告の右供述を除くその余の各供述が、井戸端で発見された草履とも対比しつつなされた故に信用できるのに照らせば、採用し難いところである。そして<証拠>によると、子供達も右牛小屋二階に昇り得ないものでないことは明らかである。以上によれば、右草履は、子供達が牛小屋二階に履いて行き、そこに放置されていたものと推測することも可能であるし、また本件の犯人が、これを犯行に使用した後牛小屋に隠匿したと考えることも可能である。
2 第一の六(二)2で認定したとおり、右草履については、警察官によるルミノール検査の結果陽性反応を示し、第一の八(一)1(5)で認定したとおり佐藤好武の鑑定の結果、緒、表、裏に血痕が附着すると判定されたのである(佐藤第一鑑定。これは、ルミノール検査だけで血痕と断定している)。そして、もしこれが真実であるとすると、このことは、右草履が隠匿されたものであることの補強資料となり得よう。しかし、後に第三の一一(二)4(2)(ⅱ)(ロ)で、唐鍬の鑑定結果に関連して説示するように、ルミノール検査の結果陽性反応を呈したからといつてこれだけで血痕が附着していると断定できるとはいい難い。従つて右ゴム草履がルミノールにより陽性反応を呈したことを本件犯人によつて草履が隠匿されたことの補強資料とすることは根拠薄弱である。
3 右ゴム草履の所在が、成年に達した家族たちにも気付かれないような状態にあつたところよりすれば、原告がたまたまこのようなゴム草履を履いて犯行におよんだという可能性も少いと思われる。
4 このようにみると、右ゴム草履自体からこれが本件犯人により故意に隠匿されたものであると推論し、これを原告に対する嫌疑を生ずる情況的事実の一つと評価することは根拠薄弱であるといわざるを得ない。
一一凶器唐鍬
第一の六(一)6で認定したように、一一月二九日の捜索で、原告方牛小屋と便所との間の物置内の数十束のワラ束とかや一束の下から、竹製の籠の中に差し込まれた唐鍬一丁が発見され、これが押収された。右唐鍬が本件の凶器であり、故意に隠匿されたことの可能性につき検討する。
(一) 唐鍬が隠匿されたこと
1 <証拠>によると、警察官および検察官は、参考人石井富一、森モト、石井利夫、石井福一、須藤栄恭および原告を取り調べた結果、総合してつぎのような供述を得ていたことを認めることができる。すなわち、「右唐鍬は原告方のもので、原告は一一月二〇日ないし二二日のうちにこれを使用し原告方西側下屋の農具置場にかけておいた。原告の長男富一は、一一月二四日夕方原告方居宅南側の水田でどじよう取りをするのにこれを使用し、使用後そのまま隠居と称されている同居宅九畳の間の前の縁側東角附近に立てかけておいた。翌二五日朝富一が見たとき唐鍬はそこになく、その後捜索により発見されるまで、所在不明であつた。一一月二八日葬式の手伝いのものが、埋葬の穴をほるため右唐鍬を捜したが、発見できなかつた。その際、手伝いのものが原告に唐鍬の所在をたずねたところ、原告は、前記牛小屋のワラ束の下にでもあるのではないか、という趣旨のことを述べた。」というのである。刑事第一、二審で取り調べられた証拠をみても、この点を左右すべき証拠は見当らない。もつとも<証拠>によれば、富一は、後に刑事第一審公判廷において、右唐鍬は使用後井戸端に置き忘れた旨証言したことが明らかであるが、右証言は、前掲証拠に照らして、採用し難い。
2 右各供述によれば、一一月二四日夕方から一一月二九日発見されるまでの間に、誰かが右唐鍬を発見場所に移動させたことになるわけである。前記のとおり、富一の供述によると一一月二五日朝富一がみたときには、右唐鍬は既に隠居前附近になかつたということ、<証拠>によると、右場所は屋外にあつて人目につきやすいとの事実が明らかであるのに、本件全証拠によるも、捜査、刑事第一、二審公判を通じて、右唐鍬の所在に気付いた者を認め得ないこと、とりわけ、第一の一で認定したとおり同日午前一〇時頃警察官が現場に到着して事情調査に着手し、引き続き実況見分をなしたのに、これら警察官によつても唐鍬の所在が認められた形跡がないことに徴すると、右唐鍬は、遅くとも同日午前一〇時頃まで発見場所に移されていたと認めるのに十分である。
3 <証拠>によると、一一月二四日取り入れられた稲は原告方居宅軒下、廊下(唐鍬のあつた隠居前を含む)などに置かれ、同月二五日午前八時半から九時半以降夕方まで、近隣の者が手伝つて、稲の脱殻作業を行ないその結果生じたワラくずは束ねられ、前記牛小屋内の唐鍬発見個所附近に運び込んで積み上げられたこと、そのころは夕暮時で、牛小屋内は暗かつたこと、右発見時唐鍬のおおわれていたワラ束は、右脱殻作業により生じたものであることを認めることができ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。
4 以上によれば、唐鍬が「ワラ束の下にあつたこと」自体は、何者かがワラ束をかきわけてその下にこれを隠匿したと推認するに足りないものといえよう。
5 このほか(1)一一月二四日夕方から二五日遅くとも午前一〇時頃までの間に、誰が唐鍬を移動させたか、(2)唐鍬が竹籠にさし込まれ、かつその上にかや一束が置かれていたのは何故か、(3)第一の六(二)および八(一)1(6)で認定したとおり、ルミノール発光検査の結果唐鍬は陽性反応を呈し、佐藤第一鑑定で唐鍬にA型人血痕が附着するとされたことをどのように評価するか、という諸点につき検討を要する。
しかして、右(1)(2)については、本件全証拠によるもこれを確認できず、刑事第一・二審を通じてもこれを確認し得なかつたことは、本件全証拠により明らかである。従つて原告以外の家族、一一月二四日の稲のとり込み、又は二五日の脱穀作業に従事した者が右のことを為したという証拠もないが、そうかといつて原告が為したという確証もない。<証拠>(石井利夫が埋葬の穴掘りのため原告に唐鍬の所在を尋ねたところ、原告は顔面蒼白になり、そわそわしていたという旨の捜査報告書と石井利夫ならびに須藤栄恭の供述調書)もその確証となし難い。そこで次に、(3)の唐鍬に血痕が附着しているか否かすなわちこれが本件凶器であると判定できるか否かについて、項を改めて検討する。
(二) 唐鍬が凶器であること
1 凶器である可能性
右唐鍬が、レイの前記挫創の成創器たりうるものであるとの判断が正当であることは、<証拠>によつて明らかである。
2 佐藤第一鑑定(血痕鑑定)
<証拠>によると、唐鍬に関する佐藤第一鑑定書の記載は、おおむねつぎのようになつていることが明らかである。
(1) 肉眼的検査では、血痕と思料される附着物は発見されない。
(2) ルミノール検査の結果、柄の部分では「かぶら」から4.5センチメートルまでの範囲に青白色の螢光、同じく柄の一二センチメートル上から二四センチメートル上までにわたる範囲に稀薄な螢光、かぶらから五センチメートルのところと14.5センチメートルのところに小豆大各一個の血痕よう螢光をそれぞれ認め、金属部分では、外側の一部に示指頭面大一個の血痕よう螢光を認め、その他の部分には認められない。
(3) 血清学的検査を実施し、右螢光を発した部分につき生理的食塩水で洗滌液をつくりこれを試験管に採つて三七度の孵卵器内に二時間、氷室内に一夜置き、これを遠心分離してその上清液を採り、小試験管に用意した抗人血色素免疫血清上に静かに重畳したところ、約一〇分時にして接際に著明なる白輪を認め陽性を示したので、この血痕は人血であることが認められる。
(4) 柄の一部を削り採り、吸着法に従つて血液型検査をしたところ、右人血はA型と判定された。
3 上野鑑定による佐藤一鑑定批判
<証拠>(上野正吉作成の鑑定書)と<証拠>(同人の刑事第一審公判廷での証人尋問調書)をあわせ考えると、刑事第一審の鑑定人上野正吉は、唐鍬に関する佐藤第一鑑定につき、大要つぎの如く批判していることが認められる。
(1) 佐藤第一鑑定では、ルミノール検査で螢光を発した部分につき、再度明所で肉眼的検査をしていない。その検果鑑定により血痕と判定されたものの形状が同鑑定書記載のとおりであることに疑いがもたれる(なお上野鑑定人が肉眼的検査なしと断定したのは佐藤第一鑑定書に、ルミノール検査ののち肉眼的検査をした旨の記載がないことに基づくものである。ところで<証拠>によると、佐藤好武は、刑事第一審公判廷において、このような肉眼的検査をしたかの如き証言をしていることを認めることができるが、この証言は採用できないから、上野鑑定人の右判断定は正当である。以上のことは、唐鍬の他の佐藤第一鑑定、同第二鑑定についても同様である。)。
(2) ルミノール検査は、血液以外のものにも陽性反応を示すことがあり、イミダゾロンー4―カルボン酸の少量を加えることにより防止策をとつても自体発光をすることもあり得るから、血痕本試験(実性試験)とはみなし難く、単に予備試験にとどまると考えるべきである。予備試験としても、ルミノール反応の結果だけで満足せず、更にベンチヂン検査、ロイコマラカイトグリーン検査、フェノールフタリン検査などの他の予備試験を併用して右結果を確認するのが相当であるのに、右鑑定では、ルミノール検査のみを実施し、しかも血痕本試験をすることなく、直ちに人血か否かの検査である血清学的検査に進んでいる。
(3) 右血清学的検査のため佐藤第一鑑定は螢光発生部分を各別に検査したかどうか明らかでない。しかも暗所における螢光発現部につきいきなり生理的食塩水を用いて洗滌液を作つた。これは液自体を稀釈ならしめ、検査結果を不正確にするものである。洗滌液を孵卵器・氷室内に置いた処置も、右具体的な条件の下での鑑定としては不適当で、時にはそのため混濁その他の悪い影響も考えられる。右遠心した上清の色・混濁度などの性状の記載がない。更に、問題なのは約一〇分時にして著明な白輪を認めたという点である。そもそも右検査においては、上清液を抗人血色免疫血清に重畳したのちいきなり白輪が生じるときは、浸出液が混濁し、又は微細な浮遊物が存する場合であつて、これをもつて陽性とは即断できないのである。むしろ持続的に観察した結果重畳直後は白輪を見ず、時の経過とともに徐々に白輪が現われ次第に明確に沈降輪を形成するとき、これをもつて陽性であるといい得るのである。従つて重畳後持続的に観察して反応の動きを見ることが必要であるのに、佐藤第一鑑定では、一〇分後見た時著明な白輪が現われていたので右の如く一〇分時で陽性反応を示したものとしている(なお、上野鑑定人が佐藤第一鑑定について右持続的観察がなされていないと断定した理由は、<証拠>によれば、佐藤好武が刑事第一審において、「一〇分で反応が現われたというのは、試験管で重畳してから持続的に観察して反応の現われるまでの時間ではなく、かかる観察方法をとらずに一〇分経過して見たとき反応があらわれていたので一〇分と記載した。」旨の証言をしたことが認められるからである。ところで<証拠>によると、同人は、刑事第二審においては、一〇分間持続的に観察したかの如き証言をしていることが明らかであるが、この証言は、<証拠>に照らして採用し難いので上野鑑定人の右断定は正当である。このことは佐藤第二鑑定書における焦茶色背広上衣の鑑定についても同様である。)。
(4) 唐鍬の血痕附着の有無について、佐藤第一鑑定ののち、同三三年一二月二六日から同三四年二月一六日までの間、東北大学教授村上次男・高橋建吉が、検察官の嘱託により共同鑑定し(以下これを村上鑑定書という。<証拠>参照)、更にその後上野鑑定人もこの点の検査をしているが、右両鑑定では、いずれも結論として陰性と判定された。佐藤第一鑑定によれば、血液型が判定し得る程度の量の血痕が附着していたというのであるから、そうとすれば、少なくとも村上鑑定当時には、ある程度の量の血痕が残つており、同鑑定の血痕予備検査においては、より著明な陽性反応を示してもよいと思われる。しかるに同鑑定の右予備試験によると、二〇万ないし五〇万倍稀釈血液等にも陽性を示すほど鋭敏なベンチヂン検査により刃金において数か所疑陽性反応が得られ、なお三万倍稀釈血液に陽性反応を呈するフェノールフタリン検査、ルミノール検査においていずれも陰性反応が得られたのみである。
また上野鑑定においてもペンチヂン検査は陰性、一、二万倍の稀釈血液にも陽性を呈するが他の物質には陽性を示さないロイコマラカイトグリーン検査でも陰性であつた。従つて唐鍬に佐藤第一鑑定書にあるような、血液型の判定まで可能なほどの量の血痕が附着していたかどうか、疑問である。
(5) 血液型検査については、検体および対照部(いずれも削りくず)の部位・量の記載、血清量の記載がなく、右鑑定書記載の検査成績表からして、削りくずを抗A血清に加えた列において対照に比して試験管一本だけの凝集価減弱が見られるが、これがただ一回だけの検査であつたとしたら、この成績だけでA型と判定することはかなり危険である。せめて試験管二本位の差か、再度検査をして傾向を確かめておきたい。
(6) 右(1)(2)については、佐藤鑑定人が鑑定経過において慎重を欠いているものがあることを窺知することができる。右(3)については、佐藤鑑定人がこの反応の正しい術式、そのもつ内容をよく理解していないことを示すものであり、これが人血であるとの同人の結論に対しても、これをそのままそうと信じ難いものを感じさせる事になる。右(4)については、佐藤鑑定当時本件唐鍬に佐藤第一鑑定書に記載されているような状態で血痕が附着していたとする事に大きな疑いをもつ。右(5)については、この鑑定書のように何の躊躇もなく「その血液はA型と思料」されると簡単に結論づけられると、折角の検査もその信頼度はかなり減殺させられる。
4 検察官の佐藤第一鑑定についての証拠価値の判断の適否
(1) 佐藤第一鑑定そのものの違法性と故意過失は、それ自体請求原因の一つとして主張されているところであり、この点は後に検討することとして、ここでは、右鑑定書に対する検察官の証拠価値の判断の適否につき検討する。
刑事訴訟法第二二三条第一項は、「検察官、検察事務官又は司法警察職員は、犯罪の捜査をするについて必要があるときは、被疑者以外の者……に鑑定……を嘱託することができる。」としているところ、佐藤第一鑑定(佐藤第二、第三鑑定も同様)は、右条項に基づき司法警察職員が嘱託してなされた鑑定結果にあたるものである。そして、このような鑑定嘱託の制度が設けられている趣旨は、通常の検察官等の有する学識経験によつては判断し難い特別の事項について、専門的学識経験を有する鑑定人に対しこの学識経験又はこれを適用して得た判断の報告を求め、もつて検察官等に不足する学識経験を補うものとするところにある。従つて、検察官等は、このような鑑定結果に拘束され、または盲従することなく、独自の立場でその証拠価値を判断すべきことは明らかであるが、反面、検察官等に対し鑑定人と同程度以上の学識経験を有すべきものとして右判断をなすべきことを要求することは、鑑定嘱託制度の趣旨からして、妥当でない。このように考えると、かような鑑定結果については、学識経験ある鑑定人がなした鑑定であり、その鑑定書自体に、通常の検察官等にも看取し得るところの、鑑定結果に影響をおよぼすべき明瞭な瑕疵が見受けられない以上、検察官等がその鑑定結果を信用できるものと判断することは、少くとも国家賠償法上検察官等の職務を行うにつき違法ありとはいい得ないのである。従つて本件検察官の佐藤第一鑑定に関する判断の適否は、佐藤鑑定人の学識経験に関する判断に誤りがあるか、右鑑定書に前記のような明瞭な瑕疵が見受けられたか否かの二点から判断されるべきである。
(2)(ⅰ) <証拠>によると、佐藤好武は、福島県警察本部刑事部鑑識課所属の福島県警察技術吏員であり、同人は当時一二年余り血液型鑑定を含む法医理科学などを担当していたものであることを認めることができ、本件血液鑑定は、他の血液鑑定に比し格別特殊な学識経験を要する鑑定であるともいえないので、同人が本件鑑定人として一般的にみて不相当であるとか、従つて同人に鑑定を嘱託したことが違法であるとか判定することはできない。
(ⅱ) 佐藤第一鑑定自体の疑問点と目すべき諸点は、刑事事件鑑定人上野正吉の指摘するような理由にもとづく前記3(1)ないし(5)の各点に外ならないのであつて、この判定を左右すべき資料はない。
(イ) 右(1)については、佐藤第一鑑定書を見る限りでは、ルミノール検査後再度明所で肉眼的検査をした形跡は認められないのであるが、これによつても右鑑定結果が左右されるとは考え難い。
(ロ) 右(2)については、右鑑定書の記載から、佐藤第一鑑定は予備試験としてルミノール検査だけを実施し、血痕本試験をすることなく血清学的検査に進み人血痕附着の結論を出していることが一見して明らかであり、また、ルミノール検査は今日予備試験にすぎないと一般に考えられているから(<証拠>参照)検察官としては、血痕本試験が実施されていないことに一応留意すべきであろう。しかし、もともと鑑定手順としては血痕本試験によつて血液が附着していることが確認されたのちに、血清学的検査によりそれが人血であるか否かを検査するものである。そして血清学的検査によつて陽性反応があらわれた場合には、単に人血であることが証明されるだけでなく、当然、遡つてこれが血液であることまで証明されることはいうまでもない。そうすると、他の予備試験を併用しなかつたことはもとより、血痕本試験を省略したことについても、専門的見地からはもとより前記のような批判がなされるのであるが、この省略が直ちに原告に不利な鑑定結果をもたらすとは即断できず、検察官がこの点を重視しなかつたからといつて、その職務執行に違法ありとはいえない。
(ハ) 右(3)については血清学的検査の手法そのものに前記の疑問点が指摘され得るのであつて、その結果陽性と判定することの当否に疑問が生ずることとなる。しかし、そのうち、まず螢光発生部分を各別に検査したかどうかが明らかでないという点については、これによつて人血か否かの鑑定結果そのものを左右することになるとは考え難い(但し、螢光発生部分のすべてに人血痕が附着しているかどうかは、確認できないことになる。)、つぎに、洗滌液の作成と処置とに問題があるとの点については、特別の専門的事項に関するものというべく、通常の検察官としてこの点に気づかなかつたからといつて職務執行に違法ありとはいえない。また、反応出現の観察時間が短いという点については、佐藤第一鑑定書の記載だけからすれば、むしろ持続的に観察した結果を記載したものとも読み取り得るうえ、この点も特別の専門的事項に関し、前同様通常の検察官には看取し難いところであつて、これらの点につき佐藤第一鑑定の評価に誤りがあつても違法な職務執行とはいえない。
(ニ) 右(4)については、村上鑑定、上野鑑定が実施された結果はじめて指摘されたのである。上野鑑定は、刑事第一審において実施されたものであり、<証拠>によれば、村上鑑定は、検察官の嘱託により昭和三三年一二月二六日開始され、同三四年二月一六日終了し、書面に記載された上同年三月一二日検察官に提出されたものであることを認めることができるから、ともに公訴提起の時には存在しなかつたものである。そして、佐藤好武が鑑定人として一般に不相当とはいい得ず、佐藤第一鑑定書に前記の如き意味での明瞭な瑕疵が見当らない以上、検察官としては、村上鑑定(あるいは、佐藤好武以外の者による再鑑定)を起訴前に嘱託し、その鑑定結果を起訴相当性の判断資料とすべき注意義務があつたものともいい難い。そうすると、右(4)についても、これをもつて検察官の判断を違法とはなし得ないところである。
(ホ) 右(5)については、吸着法による血液型検査における対照の方法等も、特別の専門的事項に属するものであつて、佐藤第一鑑定書自体に、その鑑定結果を疑わせるような明瞭な瑕疵は見出し難い。
(3) 以上のように、検察官が公訴の提起にあたり佐藤第一鑑定の結果を信用し唐鍬にA型人血痕が附着するとの心証をもつたことは、右鑑定にその後上野鑑定人が指摘したような疑問点が存在するとはいえ、前記のような理由により、通常の検察官として違法な判断とはいえない。
(三)結論
右(一)で認定したように、一一月二四日夕方から翌二五日午前一〇時頃までの間に唐鍬を原告方居宅九畳間の前の縁側東角附近から牛小屋内に進んだ者を遂に確認し得なかつたこと、右唐鍬が、普段の農具置場でないところに、竹籠にさし込まれ、その上にかや一束が置かれてあつたこと、右(二)1で認定したように、右唐鍬が本件凶器たり得るものであること、右(二)2ないし4で認定したように佐藤第一鑑定が存在しこれを措信したことが違法ではないことなどをあわせ考えると、検察官が右唐鍬をもつて本件凶器であり、これが隠匿されていたと判断したことは、未だ合理的根拠を欠くものとはいい難い。
一二原告の着衣と血痕その一、焦茶色三つ組み背広
(一) はじめに
第一の六で認定したように、一一月二九日捜索差押が実施された際、原告は、一一月二四日着用した旨説明して、焦茶色背広三つ組みを差し出しこれが押収された。<証拠>によつても原告が一一月二四日これを着用していたことが明らかであつて、この点を左右すべき証拠はない。
第一の八(一)で認定したように佐藤第一鑑定の鑑定結果によると、右背広上衣、チョッキ、ズボンの前側に微細点状飛抹様血痕が附着するとされ、佐藤第二鑑定の鑑定結果によると、右背広上衣にA型人血痕が附着するとされた。そこで、右鑑定結果につき検討する。
(二) 佐藤第一、第二鑑定
<証拠>によると、右背広に関する佐藤第一、第二鑑定書の記載は、おおむねつぎのようになつていることが明らかである。
1 佐藤第一鑑定書
(1) 肉眼的検査では、血痕と思料される附着物は発見されない。
(2) ルミノール検査の結果、背広上衣、チョッキ、ズボンのいずれにも数か所あて、粟粒大点状(但し、チョッキについては、一部線状)の血痕よう螢光を認め、その他の部分には認められない。
(3) 血清学的検査は、血痕附着量僅微なため実施困難であるから実施しない。
(4) 鑑定結果として、上衣、チョッキ、ズボンの前側に微細点状飛抹よう血痕の附着が認められる。
2 佐藤第二鑑定書
(1) 肉眼的検査では血痕と思料される附着物は発見されない。
(2) ルミノール検査の結果上衣、チョッキ、ズボンの、いずれにも数か所あて小豆大もしくは粟粒大(但しチョッキについては、一部線状)の血痕よう螢光が認められる。
(3) 血清学的検査として、右螢光発生部分につきビベットを使用して、生理的食塩水でくり返し洗滌を行ない、洗液を試験管に採つて三七度の孵卵器内に一時間、氷室内に三時間浸出しこれを遠心分離してその上清液をとり、小試験管に用意した抗人血色素免疫血清上に静かに重畳したところ、約一時間で、上衣には陽性反応を認め、チョッキ、ズボンには疑陽性反応を認めた。なお念のため螢光を発しない部分についても同様の方法で上清液をとり抗人血色素免疫血清上に重畳したが陰性反応であつた。その結果上衣には人血の附着が認められるが、チョッキ、ズボンは、附着量が微量であつたため沈降反応を起さなかつたのではないかと考えられる。
(4) 吸着法に従つて血液型検査をした結果背広の人血はA型と判定、チョッキ、ズボンの人血の血液型は不明である。
(三) 上野鑑定による佐藤第一、第二鑑定批判
<証拠>によると、前記上野鑑定人は背広三つ組みに関する佐藤第一、第二鑑定につき、大要つぎの如く批判していることが認められる。
1 佐藤第一鑑定書は
(1) ルミノール検査で螢光を発した部分につき、再度明所で肉眼的検査をせず、
(2) ルミノール検査だけで血痕が附着していると飛躍した判定をしている。
2 佐藤第二鑑定書は
(1) ルミノール検査後再度明所で肉眼的検査をせず、
(2) 血清学的検査では、前記のように反応の持続的観察を要するのに、一時間後に見たとき反応が現われていたので一時間で陽性反応を示したものと判定した。
(3) 佐藤第二鑑定は、「血清学的検査の結果、チョッキ、ズボンは疑陽性であり、その原因として、附着血痕量が微量であつたため沈降反応を起すに至らなかつたのではないかと考えられる。」と判断しているが、疑陽性の現象は、非特異的な反応を発生させる物質の混在によつても出現可能であるから、これをもつて、直ちに、附着血痕量が少ないための弱い陽性反応とすることはできない。
(4) 佐藤第二鑑定では、血清学的検査や血液型検査まで実施しているところからみれば、相当大量の血痕が附着していたものと考えられるが、そうだとすると、肉眼的検査の結果血痕と思料されるような附着物が発見されないということは、とても信じられない。
(5) 背広上衣の血液型検査表によると、抗Oの減弱に比して抗Aの減弱は軽微であるから、この結果からすると、血液型はO型またはA型で、場合によつてはO型である可能性も考えられ得る。
(6) 佐藤第一鑑定では、附着血痕量僅微なため血清学的検査は実施困難としながら、佐藤第二鑑定では血液型の決定まで出来たというのは、納得いきかねる。
(7) 前記村上鑑定によると、背広には血痕が認められないとされた。このことは、佐藤好武が洗い出し作業をしたことを考えると、背広に始めから血痕が全く附着していなかつたことを示すものとはいえないが、佐藤第一、第二両鑑定書を詳細に検討すると、少なくとも佐藤鑑定当時、右鑑定書に記載の如き部位方法で、血液型の判定が可能であつた程の充分なる量において血痕が附着していたものと信ずることは、困難である。
(四) 検察官の佐藤第一、第二鑑定についての証拠価値の判断の適否
1 佐藤第一鑑定のほか、佐藤第二鑑定そのものの違法性と故意過失も、それ自体請求原因の一つとして主張されているところであり、この点は後に検討することとして、ここでは、背広三つ組みに関する右各鑑定書に対する検察官の証拠価値の判断の適否につき検討する。その場合、右各鑑定に刑事事件鑑定人上野正吉指摘のような疑問点があることは明らかであつて、この判定を左右すべき資料はない。
2 佐藤第一鑑定について上野鑑定人の指摘する疑問点毎に検討する。
(1) その(1)について考えると、<証拠>によれば、上野正吉鑑定人自身刑事第一審において本件背広上衣のような色合のものについては肉眼的検査で血痕に気づかない可能性が大きい旨証言していることが明らかであつて、これによれば、再度明所での肉眼的検査をしなかつたことが鑑定結果を左右するとは考えられない。
(2) その(2)について考えると、検察官はその後になされた佐藤第二鑑定も併せて判断の資料にしたと推認されるのであつて、佐藤第二鑑定においては、再度ルミノール検査ののち血清学的検査が実施され、背広三つ組みのうち上衣に人血が附着していると判定されたものである。ここにおいて血痕本試験が省略されているとはいえ、血清学的検査をも経た上、人血であるとの結論が得られているから、佐藤第一鑑定がルミノール検査の結果のみにもとづいて人血の附着ありと即断したことは検察官の判断に影響しないというべきである。
ここで留意すべきは佐藤第二鑑定の右血清学的検査についても唐鍬に関する佐藤第一鑑定(一一(二)3(3)参照)と同様反応の持続的観察時間の適否につき疑問が指摘されていることである(一二(三)2(2)参照)。しかし通常の検察官がこの点に気づかなかつたからといつてその職務執行に違法があると判断すべきでないことは唐鍬についての佐藤第一鑑定につき一一(二)4(2)(ⅱ)(ハ)で述べたとおりである。そうすると、佐藤第二鑑定からして検察官が背広上衣に人血が附着していると判断したことは、失当とはいえない。
しかし、焦茶背広三つ組みのうち、チョッキ、ズボンについては、佐藤第二鑑定の血清学的検査の結果疑陽性とされたのであるから、これが陽性とされた上衣と同様に考えることはできず、そのほかにチョッキ、ズボンについて血痕附着をうかがわせ得るのは、佐藤第一・第二鑑定のルミノール検査および一一月二九日頃警察官によつてなされたルミノール検査(前記第一の六(二)2参照。)だけである。ところで、一般に化学反応の結果が疑陽性とされるのは、陽性とも陰性とも判定し難い場合(例えば非特異的な反応を発生させる物質の混在する場合)であつて、陽性反応を呈し、従つて結果としては陽性の範囲に属するが、ただその反応の程度が微弱であるという場合でないことは明らかである。また、ルミノール検査に陽性反応を呈したことだけによつては血痕と判定し得ない。もつとも、<証拠、上野正吉の刑事第一審における証人尋問調書)、(証拠・村上次男の刑事第一審における証人尋問調書)(証拠・古畑種基著「法医学の話」)によると、ルミノール検査を血痕本試験のなかに入れる見解も古くは有力説であり、かつ現時において支持者もあること、また、検査者の手腕や検体の性状によつては、ルミノール試薬の自体発光、あるいは血液以外の物質による反応の場合と、血液による反応の場合とを、判断を誤る危険性ありとはいえ、区別し得ないものではないことが認められる。しかし本件の場合血清学的検査において疑陽性と判定されたものをルミノール検査だけで血痕と判定し得るような事情は認められない。以上のところからすれば、チョッキ、ズボンに血痕が附着する旨の佐藤第一、第二鑑定は、不正確であつて、血痕が付着しているかもしれない、という程度にとどめるべきであり、これは通常の検察官にも看取し得べき明瞭な瑕疵であるというべく、この点に関する検察官の判断は適法とはなし難い。
3 佐藤第二鑑定について上野鑑定人の指摘する疑問点毎に検討する。
(1) その(1)ないしその(3)については、いずれも佐藤第一鑑定に関連して述べたところである。
(2) その(4)については、血清学的検査や血液型検査を実施することができるほどの血痕が附着している場合には、通常肉眼的検査で血痕を発見することが可能であるということは、特別の専門的事項に属し、通常の検察官がこれに気づかなかつたからといつてその職務執行が違法であるとはいえない。
(3) その(5)については、抗Oとともに抗Aも減弱している場合、両者の減弱の程度をどのように評価すべきかは、特別の専門的事項に属し、その(4)と同様検察官に違法ありとはいえない。
(4) その(6)については、検査の方法、程度によつては、当初の判断が誤りで、後に検査を実施したところ正当にもこれを実施し得たということも、あり得るから、通常の検察官がこれをもつて佐藤第二鑑定の鑑定結果を左右するほどの重大な瑕疵であると判断しなくても違法ではない。
(5) その(7)については、村上鑑定が実施された結果はじめて指摘され得るところであり、通常の検察官が、佐藤第二鑑定を精査しても、将来背広上衣につき再鑑定すれば村上鑑定のような鑑定結果がなされることを予測し得たものとも認められないので、これをもつて検察官の判断を違法とすることはできない。
4 以上のように、焦茶色背広三つ組み上衣にA型人血痕が附着するものとした検察官の判断は違法とはいい得ず、チョッキ、ズボンに血痕が附着するものとした検察官の判断は、失当というべきである。
一三原告の着衣と血痕その二、福助印ワイシャツ
(一) 問題点の概要
第一の八(二)で認定したように、一二月一日原告の逮捕に際して、原告方居宅八畳間洋服タンス内にあつた福助印ワイシャツが押収されたが、佐藤好武が右ワイシャツにつき血痕鑑定をなしたところ(佐藤第三鑑定)、左右袖口にA型人血痕が附着するものと判定された。そして<証拠>によれば、上野鑑定人は佐藤第三鑑定について、若干の難点を敢て指摘しながらも、順序方法とも間然するところなく、疑問とするところがないと評していることが明らかである。原告もその誤りを主張するものではない。そこでこの点に関する争点は、右人血がいつ附着したものであるかというところにある。被告らは、「原告がレイを殺害した時に前記焦茶色背広の下にこれを着用しその際レイの血が附着した。」と主張し、原告はこれに対して、「一一月二六日原告が右ワイシャツを着てレイの解剖に立会い、その直後の衣類着せ替えと入棺作業をし、翌二七日右ワイシャツを着て解剖台の解体、運搬、焼却などの作業をし、解剖で生じた汚物の処理、レイの血で汚れた衣類の焼却作業をした際レイの血が附着したものである。」と主張する。そこでまず、検察官が公訴提起の時までに集めた証拠から、この点について検察官主張のように判断することの適法性を検討しなければならない。
(二) 血痕附着の時期
1 福助印ワイシャツの血痕の主
(1) <証拠>によると、原告は、検察官の取調べに対し、「福助印ワイシャツは、一一月二二日から、二五日を除き二七日まで着用していた。これを、いつクリーニングに出したか、はつきり覚えていないが、一一月二二日朝クリーニングしてあつたものを、洋服ダンスの引き出しから自分で出して着たものである。右ワイシャツと同時に押収された石井ネーム入りワイシャツは、一一月上旬から二一日までほとんど毎日着ていた。解剖の行なわれた一一月二六日と、その跡かたづけなどをした一一月二七日は、黒色背広の下に、おそらく右二枚のワイシャツのうち福助印ワイシャツの方を着ていたと思う。」旨述べたこと、
<証拠>によると、原告は、検察官の取調べに対し、「ワイシャツのクリーニングは、棚倉町の大黒屋と称するクリーニング店に注文しているが、一一月四・五日頃か中旬頃ワイシャツ二枚をクリーニングに出し間もなく配達をうけた。一一月二二日文化祭に着たワイシャツは、多分右二枚のうちの一枚と思うが、あるいは、以前クリーニングして手を通さないでいたものが一枚位あつたかもしれないので、それを着たのかもしれない。」旨述べたこと、
<証拠>によると、右大黒屋の主人菊地一衛は、検察官の取調べに対し、「原告からワイシャツなどのクリーニングの注文を受けているが、最近では一〇月二二日ワイシャツ三枚、一一月二〇日ワイシャツ二枚をそれぞれ原告に配達した。クリーニングに際しては、肉眼で見える限りの汚れ、シミなどは見逃すことなく必ず洗いおとすようにしており、もしおちないようなものがあれば、注文主にそのことを話す。原告に配達したもののうちには、このようなものはなかつた。」旨述べたことをそれぞれ認めることができる。
なお原告は、逮捕に際し、このうちのいずれかを一一月二四日文化祭に着用したものである旨述べて、福助印ワイシャツと石井ネーム入りワイシャツを差し出したことは、第一の八(二)で認定したとおりである。
(2) ところで、(証拠・佐藤第三鑑定書)によると、福助印ワイシャツの左袖口に直径一ミリメートルのもの四個、直径0.5ミリメートルのもの一個の、暗赤褐色調を呈する血痕よう附着物が、右袖口には一三センチメートルの長さで幅三センチメートルに亘る褐色ないし液体浸潤よう痕跡が、肉眼で認められたことが明らかであるから、何か特別の出来事がなければ、このような状況で、両袖口に他人の血痕(原告の血液型は、O型であることは第一の八(三)で認定した。)が附着することはあり得ない。
<証拠>によれば、検察官は森モト、石井登志子、石井富一を取り調べた結果、本件前に原告方家族でA型血液のもの(長女登志子、長男富一、二女三和子、森モト、そしてレイの五名であることは第一の八(三)で認定した。)の血がこのように附着する可能性のあつた出来事を発見できなかつたことが明らかである。
(3) このようなことと、前記のように福助印ワイシャツが本件直前クリーニングされたことを考慮すれば、右血痕は、本件に伴いいずれかの機会に、レイの血が附着した結果と判断せざるを得ない。
2 原告着衣にレイの血痕附着の機会
本件後原告の着衣にレイの血が附着し得た機会としては、つぎのように死体発見直後の収容時に解剖時、着せかえ入棺時、解剖台とりこわし焼却時が考えられる。
(1) 第三の二(一)で認定したように原告は一一月二五日朝富一の知らせにより前記井戸に馳けつけたのち、石井忠夫の手助けを得てレイの死体を引き揚げ、原告方居宅に運び入れたのである。その際原告の着衣にレイの血が附着する機会がなかつたとはいえない。しかしその時原告は丸首長袖シャツ、メリヤスシャツ、パンツ、ズボン下の上に、乗馬ズボンをはき、カーキ色毛布地上衣を着ていたものであることは第三の二(一)で認定した。そして原告が福助印ワイシャツを着用していたものと認めるに足る資料はないから、この機会に右ワイシャツにレイの血が附着し得たとは考えられない。
(2)(ⅰ) <証拠>によると、原告は、一一月二六、二七日の行動について、検察官に対し大要つぎのように供述していたことを認めることができる。
すなわち、「一一月二六日は、朝起床後黒色背広上下チョッキを着用し、ワイシャツとネクタイは、二二日から二四日までの文化祭当日と同じものを着用したと思う。二六日午後井戸附近の土蔵の間でレイの死体の解剖が行なわれ原告もこれに立ち会つたが、その時警察官によく見るよう言われ、前の方に出て見たこともある。解剖後死体に新しい着物を着せ、入棺したが、原告もこの作業に参加した。翌二七日は、前日と同じものを着て、午後弟(石井裕也)と一緒に解剖台を取りこわした。解剖台は、板戸に杭で足をつけたものであるが、これをばらばらにして鋸でひき、焼却した。解剖台には大分血がついていた。解剖台の地面の上に薄いゴム手袋の片方があり、それに血がついており、手袋の中には薄い血の様な液体が入つていたが、これを右手でつまみ上げ、中の液体はその場に流し、手袋は焼却した。レイが解剖前身につけていた着物も焼却した。」というのである。また<証拠>によると、一一月二六日第一の二で認定したように黒田直教授の執刀により、原告方居宅東側の二棟の土蔵の間の空地で、レイの死体の解剖が行なわれたが、その際使用された解剖台は、地面に杭四本を打ち込み、その上にありあわせの戸板一枚を取りつけてつくられたこと、解剖には、黒田直の助手、警察官数名、レイの実父国島義広のほか、原告も立ち会い、夕刻に解剖終了後、近隣のものがレイの死体の着せ替えと入棺をし、原告もそれに参加したこと、翌二七日午後原告は、原告の弟石井裕也とともに解剖台を取り除き、鋸や薪割りを用いてこれを割り、レイが解剖前身につけていた衣類とともに、原告方居宅前の畠で焼却し、警察官数名もこれを目撃していたことを認めることができる。
これらの事実によれば、原告がその供述するように、解剖に立ち会い、着物の着せかえ、解剖台のとりこわし、手袋の処理などをしたと認めるの外はない。そこでこれらの機会に原告の着衣にレイの血が附着する可能性を検討しなければならない。
(ⅱ) このうち解剖の立ち会いの際に血痕附着の可能性があることをそれほど重視しなくともよいものと思われる。なぜなら、原告は解剖そのものを手伝つたというわけではなく、単にこれに立ち会つたにすぎない以上、たとえ一時近くに寄つてみたとしても、右一三(二)1(2)で認定したような状態でワイシャツの両袖に血が附着するということは、常識的に考えて納得し難いところであるからである。
(ⅲ) このうちその後の着衣の着せかえと入棺、翌日の解剖台の焼却などの作業時に血液附着の可能性は否定できないところである。なぜなら解剖後の死体や解剖台、あるいは解剖後死体に着せてあつた着衣には、血が附着していたと推認できるのであり、事実(証拠・いずれも刑事第一、二審の証人および原告の各供述調書)によれば、この推認の正当なことが明らかである。従つてこれらの血が、何かのはずみに後片づけ中の原告の着衣に附着することの可能性は、否定し難い。そうとすれば、右各作業のとき、原告が福助印ワイシャツを着用していたかどうかが、当然検討されなければならない。
3 死体解剖後の片づけ作業時において福助印ワイシャツ着用の有無
(1) この点について公訴提起のときまでに判明していた事実は、かなり微妙なものであつたといわざるを得ない。
すなわち、第一の八(二)で認定したように、福助印ワイシャツが押収された際の原告の説明によれば、一一月二四日原告が文化祭に着用したのは、福助印ワイシャツか、石井ネーム入りワイシャツのいずれか一方であるというにある。
<証拠>によれば、原告は一二月二一日検察官の取調べに対しては、「一一月二六日には黒色背広上下、チョッキの下に二二日から二四日までの文化祭当日に着用したワイシャツを着用したと思う。二七日は前日と同じものを着た。」と供述し、
<証拠>によれば、原告は一二月二二日検察官の取調べに対しては、「一一月二一日から、二五日を除き二七日まで福助印ワイシャツを着用し、解剖の行なわれた一一月二六日と跡かたづけなどをした一一月二七日は、黒の背広の下に、おそらく福助印ワイシャツを着用していたと思う。」と供述し、
<証拠>によれば原告は一二月二三日検察官の取調べに対しては、「一一月二二日文化祭には、あるいは右二枚のワイシャツ以外のものを着用したかもしれない。」と供述し、
たことがそれぞれ明らかである。
そして、右各供述のほかには、公訴提起前の資料で、この点の判断に資すべきものは、見当らず、これだけでは、福助印ワイシャツ着用の日を確定するのは、困難というべきであろう。
この点は、刑事第一・二審の証拠調べの結果をみても、同様である。
すなわち、二六日の着衣については、<証拠>によれば、証人石井武雄が原告はカーキ色の服を着用していた旨証言し、<証拠>によれば証人八島荘一郎が、<証拠>によれば、証人石井忠夫が、それぞれ原告は黒色背広を着用し、あるいはそれとともにネクタイをしていた旨証言するなど、各証言が対立しているところ、その証言の具体性などからみて、原告は黒色背広を着用しワイシャツを着ていたものと認めるのが相当であるが、そのワイシャツが福助印ワイシャツであるかどうか明らかでない。
二七日の着衣については、<証拠>によれば、証人石井幸子、鈴木タカ、石井武雄、八島荘一郎が、「原告はカーキ色ないし国防色もしくは軍隊の上衣のような服を着用していた。」と証言し、<証拠>によれば、証人石井カノ、石井裕也、石井忠夫、石井ハルが、「原告は黒色背広を着用し、あるいはそれとともにネクタイをしていた。」と証言し、<証拠>によれば、証人石井裕也が、「原告は焦茶の背広とワイシャツを着用しネクタイをしめていた。」と証言するなど、各証言は対立しいずれとも断定し難い。いわんやその下にワイシャツを着用していたかどうか、そのワイシャツが福助印ワイシャツであつたかどうかを確認すべき証拠はない。一般に着衣の種類、形態、色彩についての記憶が不正確なものであり勝ちなことは経験上明らかであつて、検察官が公訴提起前可能な限り捜査したとしても、結局この点の確証は得られなかつたと考えられる。
(2) ただ、この点を、他の証拠との関連で考えてみると、つぎのことをいい得るであろう。
(ⅰ) <証拠>によれば、原告が、一一月二四日帰宅まで、焦茶色背広三つ組みを着用し、その下にワイシャツを着用していたことは明らかであり、前記佐藤第一、第二鑑定によつて、焦茶色背広上衣には、A型人血痕が附着していると判断しても違法ではない(一二(四)2参照)。ところで、本件各証拠を検討しても原告が同日着用していたワイシャツは、福助印ワイシャツと石井ネーム入りワイシャツと以外のものである可能性は全く認められないから、同日着用のワイシャツはこのいずれかであるが、<証拠>によれば、佐藤第三鑑定によつて福助印ワイシャツの左右両袖口にはA型人血痕が附着し、石井ネーム入りワイシャツには、血痕の附着がないものと認められたことが明らかである。そうである以上、一一月二四日原告は、焦茶色背広の下に福助印ワイシャツを着用し、同日夜レイを殺害した機会にこれらの血痕が附着したと推論する可能性が生じ得る。
(ⅱ) 原告の前記供述によれば、一一月二六・二七日、黒色背広上衣と福助印ワイシャツを着用したというのであるが、仮に原告のいうように黒色背広上衣と福助印ワイシャツとを着用したものとすると、解剖後の着せかえと入棺、解剖台の焼却等の機会に右ワイシャツの両袖口に血痕が附着したのである以上、上衣である黒色背広にも同様血痕が附着する可能性があり、上衣とワイシャツとで血痕附着の有無につき差があるのは一見奇異とも考えられる。ところで<証拠>によると、公訴提起の前日である一二月二二日検察官が領置した原告の黒色背広三つ組みにつき、福島県警察本部刑事部鑑識技術吏員蓬田三郎が血痕附着の有無にっき鑑定したところ、ルミノール反応陰性であり、血痕附着は認められなかつたことが明らかである。そうするとむしろ原告が黒色背広の下に着用したのは福助印ワイシャツでなく、石井ネーム入りワイシャツであつて、原告の着せかえ、入棺、解剖台の焼却等の機会に血痕は附着しなかつたとも推察できよう。そうであるとすれば、このことは右(ⅰ)の推論をさらに強めるものとなろう。
(ⅲ) 右のように推察すれば、被告らの主張を裏付け得るであろう。しかし、これとても断定し得る程度の確実性あるものではない。
4 結論
結局福助印ワイシャツに血痕が附着している点の評価としては、検察官が公訴提起当時現に収集した証拠から、あるいは当然収集し得たであろう証拠を加味して考えても、原告がレイを殺害したとしてその際附着したものと推論できるが断定するまでには足りず、右解剖後の着せかえと入棺、翌日の解剖台の焼却等の作業の際附着した可能性も全く否定し去り得ないのである。
一四一般的に原告が時間的場所的に本件犯行を犯し得る情況にあり、原告にはアリバイその他犯行を特に否定する事情はなかつたこと
(一) 事実
1 原告方居宅は、国鉄水郡線磐城棚倉駅から東方に約7.5キロメートル隔つた山間の部落にあり、福島県石川郡石川町から東白川郡古殿町に通ずる県道沿いにある鮫川村大字赤坂西野字酒垂七〇番地鈴木六之進方居宅西側十字路から、同村大塩部落に通ずる村道を東方に約一〇〇メートル進み、そこからさらに原告方自家用の小道を東北方に約五〇メートル入つた地点に存すること、レイの死体の発見された井戸は、原告方屋敷内の東南角の一隅にあることは当事者間に争いがない。井戸の位置と蓋の状況などからみて、本件の犯人は、原告方の事情にある程度通じた者であると考えることが不合理でないことは、第三の四で述べたとおりである。
2 <証拠>によると、警察官および検察官は、原告の母ナミ、長男富一、長女登志子を取り調べた結果、一一月二四日夕方から二五日朝までの原告方の様子につき、つぎのような供述を得ていたことを認めることができる。すなわち、右各供述を総合すると、「原告は、一一月二四日午後七時頃帰宅した。レイはその頃翌日の食事の準備などをしていたが、間もなく家族全員で食事をした、但し原告は外で食事を済ませて来たので家では食事をしなかつた。食事後ナミと富一が風呂に入り、その後登志子、三和子(二女)、勝義(二男)がそれぞれ入浴した。ナミと富一は、午後八時頃一緒に三畳の間で就寝し、そのころその余の子供たちも南側八畳の間で就寝したが、原告は当時炉端におり、レイは、翌日の食事の準備などをしていた。ナミが夜半一回位、小用に起きたとき、炉端の小さな電灯一個だけがついており、原告やレイには気付かなかつた。」というのである。刑事第一、二審で取り調べられた証拠中にもこの点を左右すべきものは見当らない。
一方<証拠>によると、原告は検察官の取り調べに対し、つぎのように供述したことを認めることができる。すなわち、「原告は、一一月二四日文化祭の反省会と称する懇親会に出席若干飲酒したのち、これを終えて午後七時頃帰宅し、一たん炉端近くに行つて子供等に菓子を与え、その後戸外に出て苗木に土をかぶせたりしたのち、再び炉端に行つて腰をおこし、ナミやレイとこんにやくの出来具合などの話をした。その間レイは、炉端でこんにやくをきざむ仕事を続けていた。その後ナミと富一が一緒に就寝し、その余の子供等も入浴を済ませたのち南側八畳間で就寝した。子供が寝付いたのち、原告は、炉端でレイと翌日の農作業の予定などの話をし、午後八時頃焦茶色背広三つ組みを着たまま一人で戸外の風呂場に行き、そこで脱衣したのち入浴した。入浴を済ませて下着(二五日朝の下着と同じ。)だけを着用し背広三つ組みとワイシャツとを手に持つて炉端にもどり、まもなくこれらを廻転椅子の背もたれにかけて、電灯を暗い方に切り替え、登志子らの寝ている部屋の寝床に入り、すぐに寝付いた。レイの寝床は、原告と同室で原告の隣りになつているが原告が、戸外が薄明るくなつている頃小用に起きたとき、炉端に小さな電灯だけがついており、レイが寝ているかどうかは気付かなかつた。」というのである。
(二) 評価
以上によれば、原告とレイ以外の家族が就寝するまでの状況は、関係者の供述もおおむね一致し、とりたてて疑問とすべき点はないが、その後翌二五日朝本件が発覚するまでの原告の行動については、原告の供述以外にこれを確認する資料はない。なお<証拠>によると、登志子は、警察官に対しては、「時計が四つ鳴つたとき勝義が泣いたので起きてみたところ、レイは寝床におらず、原告は、レイの寝床のとなりに寝ていた。」旨供述していたことを認めることができるし、前記第三の二で認定した翌二五日朝の状況からしても、原告が、いつか下着のまま寝床に入つたことだけは、明らかである。そうすると、原告の二四日夜から二五日、朝起床までの行動に関する右供述自体には、不自然、不合理と目すべき点はないから、それ自体をもつて信用できないとするに足る事実はないのであるが、一方、レイが殺害された場所と時間(一一月二四日午後八時頃以降翌二五日午前七時頃までの間。後記第六の二参照)とから推せば、原告が、家族に気付かれずにレイを殺害したと判断しても、格別障害となる事情は存在しないものといえよう。
一五レイが他の者に殺される理由の不存在
(一) 怨恨・痴情
本件証拠上、捜査および刑事第一・二審の審理の過程を通じて、レイに対し怨恨・痴情等殺害の動機となるような特殊感情をもつていると推察される者が全く浮ばなかつたことは、前記のとおりであり(第一の五(五)、第三の四(二)参照)、その他に何らかの点で本件との結びつきをうかがわせるような出来事が存在したことを認めるに足りる証拠もない。
付言すれば<証拠>によると、警察官および検察官は、酒垂部落全戸につき一一月二四日夜の行動を聞き込んだが、その結果をみると、原告方附近で特に本件との結びつきをうかがわせるような出来事は存在しなかつたものと認められる。もつとも、右証拠のうち、<証拠>によると、原告方の隣家の石井忠夫、同ハツヨ夫婦らは、一一月二四日午後九時過ぎ頃裏手竹やぶ附近で犬がほえるのを聞いたことが認められ、また<証拠>によると、同日午後七時頃から同九時半頃まで、酒垂部落内の西野公民館で、南ひろしショウという歌謡曲のショウが催されたところ、その間公民館内で宿泊中の池公所有にかかる金銭の盗難事件が発生したことを認めることができるが、これらは、いずれも本件と関連性を持つような事情とは思われない。
(二) レインコート紛失
<証拠>によると、原告は、一一月二四日帰宅後自宅入口土間の穀びつにレインコート(スプリングコートともいう。以下同じ。)をかけて、そのまま就寝したところ、同月二八日葬式の日に、これが紛失していることに気付いた旨検察官に供述していたことを認めることができる。これは事件後葬儀までの混雑にとりまぎれて何らかの理由で紛失したとも考えられる。とりわけ、仮にこれが一一月二四日夜盗難にあつたものとしても、その犯人が本件にみられるような残虐な攻撃方法によりレイを殺害し、井戸に投げ込むほどのことをしたとは考え難いところである。
いわゆる獣肉問題もこの点につき決定的な事実といえないことは、すでに第三の五(三)において説明した。
一六結論
(一) 公訴提起
以上のとおり、被告ら主張の各点について順次一通りの検討をした。これによつて明らかなように、本件の証拠は、すべて間接的に犯人が誰かを推測させるような、いわゆる情況証拠に限られているが、これを総合した場合には、公訴提起の時に原告に対して嫌疑がかけられるべき相当の根拠が存在したというべきである。従つて、検察官が将来有罪判決を得られるものと判断したことは、合理的根拠を欠くものではない。
すなわち、原告はレイが殺害された時と目されるころ、本件現場の近くにおり、その頃就寝していた旨の原告の供述以外には、原告の当時の行動を確認する資料がなく、原告は、時間的場所的に殺人を犯し得る情況にあつたと考えられる(第三の一四(二))、犯行の態様をみると、レイの死体に多数の皮下出血が存在するなどから推察して犯人は数回にわたる執ようかつ強力な攻撃ののち、レイを井戸に投げ込み、その前後井戸蓋に若干の操作まで施していると判断されるのに、レイが救助を求めたともみられないことから考えれば、犯人は、レイと面識があり、レイに対して何らかの特殊感情を有するものとみるのが相当である(第三の四(二)、五)。ところが原告はレイと、長い間深刻な不和の状態にあり、原告は多情であつて若干の女性関係を有し、本件発生の十数日前である一一月九日に女性関係の紛争から、レイを一時実家に帰すなど、レイとの仲は破綻寸前の状態に陥り、同月一六日原告とレイとは一旦和解したとはいえ、それまでの不和が完全に解消したものとは判断し難いのである(第三の六)。なお原告は、本件の前日(一一月二三日)レイと不和の原因の一つとなつた原告のかつての愛人に再会しすぐに別れたが、その夜レイに無断で宿直しており、これはレイとの対立再燃の原因となり得るものである(第三の七)。一方原告以外には、レイに対し殺人の動機ともなり得る特殊感情を持つものが見当らない。井戸の所在場所と井戸蓋の構造、および唐鍬の出所からして、犯人は原告方の事情にある程度通じている者と考えた方が客観的情況に合致し(第三の四(二)、一一(一))、しかも物盗りその他これに類する無法者の偶発的犯行と考えられる資料が見当らない(第三の一五)。本件発覚の時の原告の言動には常識上不自然なものがあり、(第三の二(二))死体発見当時の井戸端の草履と手桶との情況はレイの過失死を偽装したとも推測することは可能である(第三の三(二))。大竹日出子との交情を示す日誌手紙類が原告方便所便壺に投げ込まれていたが、これは原告の仕業と考えても不合理ではない(第三の八(二))。
凶器たり得る性状を有する原告所有の唐鍬が、本件発生後原告方居宅物置内で発見され、佐藤第一鑑定の結果これにレイと同じA型人血痕が附着しているものと判定された(第三の六(一)6、一一(二)12)。佐藤第三鑑定の結果福助印ワイシャツの両袖口にA型人血痕が附着していると判定され、これが本件犯行の際附着したと推論する可能性がある。(第一の八(二)、第三の一三(二)4)。とくに原告が一一月二四日夕方まで着用していたことが確認される焦茶色背広上衣に佐藤第一、第二鑑定の結果A型人血痕が附着していると判定されている(第三の一二(二))。
これらの事実を総合すれば、原告に対する嫌疑は、単に犯人かもしれないという疑いの程度にとどまらず、進んで、将来原告に対し有罪判決を得られると見込まれる程度の合理的根拠があつたと考えられるのである。そうすると、検察官が保険金目当てを動機の一つと判断したことおよび物置二階より発見された草履に血痕が附着し隠匿されたものと判断したことは根拠薄弱であり(第三の九、一〇(二))、焦茶色背広三つ組みのチョッキ、ズボンに血痕が附着するものと判断したことは失当である(第三の一二(四))けれども、なおその公訴提起は適法というべく、原告の本訴請求のうち、これが違法であることを理由とする部分は、失当である。
(二) 公訴維持
検察官が公訴を維持したことが違法行為であるか否かにつき判断する。右に見たように、本件検察官の公訴提起自体は適法である以上、ここで問題とすべきは、公訴提起後の補充捜査の結果収集され、刑事第一審において証拠として提出された村上鑑定書、刑事第一審において実施された上野鑑定の鑑定結果にかんがみ検察官が公訴を取り消す等の措置をとるべきであつたか否かの点につきるといつてよい。検察官の公訴追行の仕方そのもの、たとえばことさら訴訟手続きを遅延させ、あるいは新証拠を隠匿したというようなことは、主張がない。また、公訴提起後出現し、従来の証拠と明らかに矛盾対立する証拠は、右両鑑定のほかには見当らない。
ところで、このように刑事第一審の過程において、従来の証拠関係と矛盾対立する証拠が出現した場合、検察官は新証拠の証明力を慎重に評価すべく、その結果これを増加せしめ又は減殺させるため訴訟をなお追行することは原則として許されて然るべきである。ただ新証拠がもはや反論の余地のないものであり、これによつて被告人に対する犯罪の嫌疑が根本的に消滅してしまうと認めざるを得ないような場合には、検察官は進んで公訴を取り消し被告事件を公訴棄却決定をもつて終了せしめるか、又は被告人の手続的利益を考えその後の立証をとりやめ無罪の論告を行ない被告事件を無罪判決によつて終了せしめるなど、無実の者に無用の手続的負担をかけないようにすべき責務があるといえる。
このように考えると、新たな証拠が、明らかに弾劾の可能性のない証拠であり、かつ、その出現によつて被告人に対する嫌疑が根本的に解消されるものでない以上、検察官が一旦適法に提起した公訴を維持して新証拠の証明力を争い、事件の最終判断を裁判所にゆだねたとしても、これをもつて違法行為とはなし難い。本件の場合、後に第五の二で判断するように、村上、上野両鑑定によると、唐鍬、焦茶色背広三つ組みに血痕が附着している旨の佐藤第一、第二鑑定の信用性は減殺されるものの、右両鑑定の鑑定結果には誤りであると断定できない部分も残るうえ、かえつて福助印ワイシャツの左右袖口にA型人血痕が附着していたとの鑑定は疑いのないところと判定されたのである。そして、これらのことと、前記各種の情況的事実を総合すれば、原告に対してなおかなりの嫌疑が残るのである。そうである以上、検察官がみずから積極的に公訴を取り消し又はその後の立証をとりやめ無罪の論告をすべきであつたと判断するのは、相当でない。よつて検察官が公訴を維持したことは適法というべきであるから、原告の本訴請求のうち、これが違法であることを理由とする部分は、失当である。
第四逮捕、勾留、取調べの違法性
一一般原則
被疑者の逮捕(通常逮捕)と勾留とは、被疑者が罪を犯したことを疑うに足る相当な理由があり、被疑者の身柄を拘束する必要がある場合に行なわれたとき適法であり(刑事訴訟法第一九九条第一項、第二〇七条、第六〇条第一項、刑事訴訟規則第一四三条)、このような相当の理由と必要とがないのに、あえて行なわれたときは、違法である。
二逮捕および勾留
(一) 犯罪事実
1 本件逮捕に至るまでの捜査の経過と、被疑事実の要旨とは、前記第一の一ないし七に述べたとおりであり、右被疑事実のうち、殺人と死体遺棄の部分については、右捜査の経過からすれば、逮捕および勾留時において原告が罪を犯したことを疑うに足る相当な理由があつたというべきである。
2 暴行についてみると、右事実の疏明資料とされた森モトの供述内容は、前記第一の五(二)に記載したとおりである。ところで、<証拠>によると、白坂コフミ、白坂要生(白坂コフミの子白坂正信の妻)らは、原告の逮捕後捜査官に対しあるいは刑事第一・二審で証人としておおむね右森モトの供述のとおり、レイが原告に暴行されたことをレイから聞いている趣旨の供述をしてることが認められるが、他方<証拠>によれば、森モトは、刑事第二審の証人として、暴行の事実を目撃したことはない旨、供述を変えていることが明らかである。これらの公判段階での新証拠を考慮すれば、右事実の存否については、若干の疑問があることを否定し難い。しかし、森モトの当初の捜査官に対する供述は、前後に矛盾がなく一貫しており、目撃者の供述としてこれを措信できないと考えるべき状況はなく、もとより、捜査官の誘導、強制などが行なわれたことをうかがわせる資料も見当らない。そうすると、少なくとも逮捕、勾留の段階においては、右供述は有力な証拠というべく、また第一の一(一)記載のとおり、レイの死体には皮下出血も認められたから、原告がレイに暴行したことを疑うに足る相当な理由があつたものと考えるべきである。
(二) 逮捕勾留の必要性
本件被害者が原告の妻であること、本件発生時刻と考えられる頃、原告の身近に居た有力参考人が原告の老母と子であること、暴行の目撃者が、もと原告方に雇われていた女性であること、本件が死刑、無期又は三年以上の有期懲役をもつて処断さるべき重罪であることなどを考慮すれば、原告を逮捕する必要性あることはもちろん、原告が罪証を隠減し又は逃亡するおそれがあつたことも肯定できる。
(三) 公訴提起後の勾留
公訴提起後の勾留については、前記のように公訴の提起、維持が適法である以上、裁判所の職権によりなされた勾留につき、検察官の行為を違法とすることはできない。
三取調べ
原告を取り調べたことが、本件の捜査上必要であつたことは、叙上のところから明らかである(刑事訴訟法第一九八条第一項)。
以上説示したように、逮捕、勾留、取調べの違法を理由とする原告の請求は、失当である。
第五佐藤好武の鑑定が不法行為であることを原因とする請求
一公権力の行使
佐藤好武が、福島県警察本部刑事部鑑識課所属の技術吏員として、血液型鑑定を含む法医理科学系統の犯罪鑑識などを担当する被告福島県の公務員であることは前述した。このような公務員が国家賠償法第一条第一項にいう、公権力の行使にあたる公務員に該当するか否かは問題の存するところであるが、後に説明するように、佐藤好武の違法鑑定と損害との因果関係が肯定されない以上、公権力性の判断をまつまでもなく、本項の請求は理由がないことが明らかであるから、公権力性について判断を示す要を見ない。
二鑑定の違法性
(一) 一般原則
捜査機関の嘱託に基づく鑑定にあつても、鑑定受託者(鑑定人)は、良心に従つて誠実に鑑定をなすこと、およびその当時鑑定人と同様の分野を専攻する専門家の間で一般に疑いないものとして承認されている判断基準・判断過程を有力な参考として正当な結論を得ることを必要とする。もとより専門家の間で説が分れているような事項について鑑定人がその専門的学識経験に従いその一を選んだからとてまた鑑定が裁判所に採用されなかつたからとて、これを違法と即断してはならない。
専門的学識経験を有する者は社会生活の各分野で専門家としてそれなりの社会的地位を有するが、その反面絶えざる研究進歩を要求され、その成果をもつて社会生活をより高度ならしめる責務を負う関係上専門的学識経験を社会生活に応用するに当り、相当範囲の裁量を許される。従つて前記のような場合においてもそれは鑑定人に許される裁量の行使の当否の問題にすぎない場合もあり得るし、また、それはかような裁量の範囲を逸脱して違法と目すべき場合もあり得る。国又は公共団体に賠償義務を生じさせるのは、このような意味において違法と判定されるべき鑑定でなければならない。よつて以下この見地から右認定の違法性の有無を検討する。
(二) 唐鍬の鑑定
1 唐鍬については、佐藤第一鑑定の結果A型人血痕が附着するとされたところ、上野正吉鑑定人により、数点の疑問点が指摘され、その信用性に疑問がいだかれるに至つたことは、第三の一一(二)3に述べた。もつとも、それだからといつて、右鑑定結果が必ずしも誤つているものと断定することはできないであろう。
2 よつて次に佐藤第一鑑定の誤りの有無を検討する。
(1) 上野鑑定人の指摘する疑問点すなわち第三の一一(二)3(1)(ルミノール反応で螢光を発した部分につき、再度明所で肉眼的検査をしていないこと)同(2)(予備試験としてルミノール検査だけを実施し、血痕本試験をすることなく、直ちに血清学的検査に進んでいること)について、いずれもこれにより鑑定結果が左右され原告に不利な結果が出るとはいえないことは第三の一一(二)4(2)(ⅱ)(イ)(ロ)で説明した。
(2) 同(3)(血液学的検査が不当であること)について、ここで問題となるのは、主として、佐藤第一鑑定において反応を確認した約一〇分時まで、継続的な観察がなされていないことである。
もとより佐藤鑑定人が観察しなかつた右一〇分間の初期に白白色沈降輪が形成されたものか否かを断定するに足りる確証はないけれども、上野鑑定人がここで指摘するように、佐藤第一鑑定はこの点につき鑑定人に許される前記裁量の範囲に属するとは到底いえないような方法を用いて鑑定をしたものである。すなわちその方法は誤りであり、かような誤つた方法を用いて得た人血であるとの鑑定意見をそのまま捜査官に提出することは、鑑定人の行為として違法であるといわざるを得ない。
(3) 同(4)(村上、上野両鑑定との比較から生じた疑問)について、ここで検討されなければならないことは、佐藤好武が、村上、上野両鑑定で予備試験にも陰性とされるほど血痕を洗い出して取りつくすことが可能であつたか否かという点である。(証拠・上野鑑定書)によれば、佐藤好武の洗い出し作業が極めて理想的に行なわれたという起ることの稀な場合も一応は考えられ得ると判断されていることが認められる。そして(証拠・佐藤好武の刑事第二審における証言)によると、佐藤好武はルミノール検査で螢光を発した部分につき柄の部分は一部削り取り、金属部分は食塩水をひたした脱脂綿で洗いとり、このようにして、その都度ルミノール検査をし、発光しなくなるまで血痕を取りつくしたことを認めることができる。そうであれば村上、上野両鑑定において、ルミノール検査により鋭敏なベンチヂン検査に基づき刃金において数か所疑陽性反応が得られ、ルミノール検査と同程度の鋭敏度を示すフェノールフタリン検査、ロイコマラカイトグリーン検査で酸性反応が得られたことと、佐藤第一鑑定とは、必ずしも矛盾するとはいい難い。
(4) 同(5)(血液型検査についての疑問)については、(証拠・村上次男の刑事第一審における証言)によると、血液型の決定に当り、試験管一本だけの凝集価減弱が一回あつたという事実に基づき結論を出すことは普通避けるけれども、しかしそれが危険だということになると、際限がなくなり、結局は鑑定人の学識経験等を信用せざるを得ないことが明らかである。そうすると、佐藤第一鑑定において試験管一本だけの凝集価減弱によつて血液型を決定しても、佐藤好武のこれについての鑑定上の学識経験にとくに信用し難い事情も認められない以上、佐藤第一鑑定がこの点につき内容および方法において客観的に誤つているとは断定できない。
3 これを要するに佐藤第一鑑定の唐鍬に関する鑑定決果中血清学的検査の方法において違法な点があるものの、その他の点において違法ありとはいい難い。
(三) 焦茶色背広三つ組の鑑定
1 焦茶色背広三つ組については、佐藤第一鑑定の結果、上衣、チョッキ、ズボンの前側に微細点状飛抹様血痕の付着が認められるとされ、佐藤第二鑑定の結果、上衣にはA型人血痕が附着するが、チョッキ、ズボンについては、血清学的検査に陽性反応を示さないことから、血痕附着量が微量であるため沈降反応を起さなかつたのではないかと考えられ、その血液型は不明とされたところ、上野正吉鑑定人により、数点の疑問点が指摘され、その信用性が動揺するに至つたことは、第三の一二(二)(三)に述べた。
2 右チョッキ、ズボンに血痕が附着していると認められる旨の鑑定結果が不正確で、正しくは、血痕が附着しているかもしれないというにとどめるべきであつたことは、第三の一二(四)2(2)で述べたとおりである。従つて右チョッキ、ズボンの鑑定についてのその余の疑問点に論及する必要はない。
3 (1) 焦茶色背広の鑑定については、佐藤第二鑑定で佐藤第一鑑定の鑑定結果が補充訂正されたものであるから、ここでは佐藤第二鑑定の鑑定結果が問題とされるべきである。
(2) まず上野正吉鑑定人の指摘する第三の一二(三)2(5)記載(血液型は、場合によつてはO型である可能性もあること)の批判から見れば、佐藤第二鑑定書記載の血液型検査成績を前提とする以上、佐藤鑑定人は上衣附着の人血痕の血液型をA型又はO型場合によつてはO型である可能性もあると判定すべきであつたと認められる。
(3) 第三の一二(三)2(1)(ルミノール反応で螢光を発した部分につき、再度明所で肉眼的検査をしていないこと)については、この方法をとらなかつたため鑑定結果が左右されるといえないことは第三の一二(四)2(1)で説明したとおりである。
(4) 同(2)(血清学的検査が不当であること)については第五の二(二)2(2)で唐鍬の血液型の鑑定に関し述べたのと同様の理由によりこれはその方法において違法であり、これをそのまま捜査官に提出するのは違法であるといわざるを得ない。
(5) 同(3)(血清学的捜査が疑陽性である理由を附着血痕量が微量であるためとしていること)は、チョッキ、ズボンの鑑定に関する批判であり、背広上衣の鑑定については、あてはまらない。
(6) 同(4)(血清学的検査や血液型検査まで実施できるほど大量の血痕が附着していたのである以上、肉眼的検査で血痕が発見されないということは、あり得ようとはとても信じられないということ)については、<証拠>によると、上野正吉鑑定人自身刑事第一審において本件背広上衣のような色合のものについては、肉眼的検査で血痕に気付かない可能性が大きい旨証言していることが明らかであるから、これをもつて背広上衣に血痕が附着していなかつたと断定する根拠となし難い。
(7) 同(6)(佐藤第一鑑定では血痕附着量が少ないため血清学的検査困難としながら、佐藤第二鑑定では血液型の決定まで出来たというのは、納得いきかねるということ)については、検査の方法、程度によつては、当初の判断が誤りで、後に検査を実施したところこれが実施し得たということも、必ずしもあり得ないところとは考えられず、<証拠>によれば、上野正吉もこの可能性を否定するものではないことを認めることができるので、これをもつて背広上衣に血痕が附着していなかつたとする根拠とはなし難い。
(8) 同(7)(村上、上野両鑑定との比較からした疑問)については、上野鑑定書によつても、佐藤好武が洗い出し作業をしたことを考えると、村上鑑定によつて背広上衣に血痕の附着が認められないことは、直ちに始めから血痕が全く附着していなかつたことを示すものではないとされている。そして<証拠>によると、佐藤好武は、刑事第二審において証人として背広上衣のルミノール検査で螢光を発した部分につき、布地の上下から輪をはめて食塩水が他に浸みとおらないようにしたうえ、生理的食塩水を用いてビベットで何回となく吸い取り、このようにしてその都度ルミノール検査をし、発光しなくなるまで血痕を取りつくした趣旨の供述をしていることを認めることができ、<証拠>によると、本件背広の如き毛織物に血痕が附着した場合には、血液は繊維の毛の上に乗つている状態となるため、完全に洗い取ることも不可能ではないことを認めることができる。もし佐藤好武の右供述が真実であるとすると、村上鑑定において予備試験で陽性反応を呈しなかつたことと佐藤第二鑑定とは、絶対に矛盾するとはいい難いわけである。
(9) 以上のように、佐藤第二鑑定において背広上衣の血液型判定の結果に関し、誤りが存し、かつ血清学的検査の方法に関し違法があるのほか、これが誤りであると断定するだけの証拠はない。
(四) その他の佐藤好武の鑑定について。
佐藤好武は、佐藤第一鑑定の中で、牛小屋二階から発見されたゴム草履の緒、表、裏に血痕の附着が認められる旨鑑定しているが、これはルミノール検査だけを実施しているのであるから、焦茶色背広のチョッキ、ズボンと同様、正しくは、せいぜい血痕が附着しているかもしれないと鑑定すべきものであつた。
佐藤第一、第二鑑定においては、この他にも血痕鑑定の対象とされたものがあるが、これらについては、本件請求との関連で違法な鑑定であることの主張はない。
三鑑定の違法性と原告主張の損害との間の因果関係
前項でみたように、佐藤第一、第二鑑定の鑑定結果のうち、牛小屋二階から発見されたゴム草履と、焦茶色背広三つ組みのチョッキ、ズボンに関する部分は、せいぜい、血痕が附着しているかもしれないと鑑定すべきところを誤つたものであり、唐鍬と焦茶色背広三つ組みの上衣との血清学的検査の方法において違法な点があり、なお右上衣の血痕の血液型の判定にも誤りが存する。
国家賠償法において国又は公共団体が損害賠償の責めに任ずるのは、個々の公務員が公権力を行使するについて他人に違法に損害を加えたとき当該公務員の負担すべき損害賠償債務を代つて負担するとの法意に外ならない。
そこで佐藤好武自身が原告に損害を加えたか否かを判断するにはまず佐藤第一、第二鑑定中の違法と原告主張の損害との間の因果関係が検討されなければならない。その場合原告主張の損害は、すべて直接には警察官、検察官の所為に直接起因するものであるから、結局ここで検討しなければらならないのは、佐藤第一、第二鑑定と、右警察官、検察官の所為との間の因果関係であるといつてよい。
(一) 検察官の公訴の提起・維持との間の因果関係
1 佐藤好武の前記違法行為と、検察の公訴の提起・維持との間の因果関係の有無を検討する。すなわち、仮に佐藤第一、第二鑑定中前記違法な点がなくても、通常の検察官において、その他の証拠を総合して、なお原告に対し公訴を提起し、維持するだけの犯罪の嫌疑が存すると判断し公訴を提起し維持するといえるのであれば、佐藤第一、第二鑑定中の違法と検察官の公訴の提起・維持、原告の損害発生との間に法律上の因果関係を欠く。逆に右違法がなければ、通常の検察官においてその他の証拠をもつてしても到底公訴を提起し、維持しないといえる場合換言すれば佐藤第一、第二鑑定の鑑定結果を証拠としてはじめて公訴の提起・維持が肯定される場合にだけ、右の因果関係を認めることができるわけである。
ところで検察官は、公訴提起のときまでに収集し得たすべての証拠を公訴官として専門的見地から合理的な心証により多角的かつ総合的に吟味し、有罪判決を得る見込の有無と、さらに起訴便宜主義(刑事訴訟法二四八条)発動の可否を検討した上、起訴不起訴を決定するものである。その場合捜査機関の嘱託により実施された血痕鑑定の結果もかような意味での証拠となるのであるが、鑑定結果だからといつてそれが通常の場合において、通常の検察官にとつて常に公訴を提起し、維持するについての決め手となり、これによつてはじめて公訴提起の可否が決定されるに至る性質のものであるとはいい難い。すなわち、証拠としての鑑定結果が、公訴の提起・維持に対しこのような因果関係を有する場合は、いまだ通常の事情といえず、むしろ特別の事情に属すると解するのが相当である。以上のようにみると鑑定に違法な点があることが不法行為を構成するためには、鑑定の違法と検察官の公訴の提起・維持との間に、前記のような特別の因果関係があり、鑑定人がこれを予見し、または予見することができた場合であることを要するものといわなければならない。
2 本件について検討すると、すでに第三において説示したように公訴提起時において、唐鍬、焦茶色背広三つ組み、ゴム草履の血痕附着の有無、その人血か否か、血液型如何等は重要な問題点であつて、これらの点につき佐藤第一、第二鑑定がもし適法に行なわれていればこれに前記のような違法ある場合に比し、原告をレイ殺害の犯人と判断すべき証明力が弱くなると推定できる。しかしさればとて、これらの鑑定が適法に行われれば、原告が犯人でないとの証明ができたとも断定できない。ここにおいて、右鑑定に前記のような違法がない場合、いかなる鑑定結果を得たか、通常の検察官の合理的な心証によればその結果と他の証拠とをあわせて果して公訴の提起に及んだか否かが検討されるべきである。しかし仮りに鑑定が適法に行なわれていれば、公訴の提起に至らなかつたであろうと認められるとしても、佐藤好武が、鑑定当時このようなことを予見し又は予見できたと認定するに足る証拠はない。
なお同人は鑑定人として、原告に対し公訴の提起が証拠上可能か否か等の考慮を払うことなく、もつぱら法医学等の学術的見地に立つてその経験を活用し血痕の附着等につき専門家としての正当な所見を報告するとの職責を帯びていたにすぎないことも右判定を裏付けるものである。
(二) 警察官、検察官のその他の行為との間の因果関係
逮捕、それに引き続く身柄の拘束、勾留状の執行当時佐藤第一、第二鑑定が完了していたとは認められないから、その間の因果関係を考える余地はない。勾留(起訴前)の継続については、佐藤第一、第二鑑定を除外してもなお原告が罪を犯したと疑うに足りる相当の理由があつたと考えられるので、その間に因果関係があつたものということはできない。
検察官の控訴の申立・維持との間の因果関係については後に第六で判断するとおり、佐藤第一、第二鑑定が検察官をして控訴を申し立て、維持せしめた原因の一つとなつたことは明らかであるところ、当裁判所は、佐藤第一、第二鑑定の信用性に疑問をもつ以上控訴の申立と維持とには合理的根拠がなく、違法であるとの評価をまぬがれないと考えるものである。しかして、佐藤第一、第二鑑定が検察官の控訴申立・維持に対し因果関係をもつのは特別の事情に属し、この点前記公訴の提起・維持と同様であるから、鑑定人佐藤好武がこのようなことを予見し又は予見することができたともいえない。
四結論
以上によれば、佐藤第一、第二鑑定と原告主張の損害との間には、相当因果関係があることの立証はないというべきであるから、本訴請求のうち、右鑑定の違法を理由とする部分は、失当である。
第六控訴の申立・維持の違法性と故意・過失
一一般原則
(証拠・控訴趣意書)によれば、検察官の控訴の申立は、第一審の判決に事実の誤認があつて、その誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかであることを理由として、刑事訴訟法第三八二条に基づきなされたものであることを認めることができる。そして、前に第三の一で述べたと同様に、検察官が右の控訴理由があると判断したことが、証拠の評価に関する個人差等を考慮しても、なおかつ経験則と論理則にもとづく自由心証のわくを逸脱したと認められるような場合には、検察官の判断に合理的根拠があつたといえず、検察官の控訴の提起・維持は違法であり、通常の検察官として所与の条件のもとでなすべき注意を払えば合理的根拠のないことを知り得たのにこれを怠つたとき、検察官に過失がある。
そこで検察官の控訴趣意書所掲の第一審判決理由の事実誤認を攻撃する論旨につき、被告らの主張の順序に従い順次判断するが、当裁判所は、結論として控訴の申立と維持とは合理的根拠を欠き、違法であり、かつこの点につき検察官に過失があつたと判断するものである。
以下第一審判決の内容は<証拠>により、第二審判決の内容は<証拠>により、認定したものであるが、いちいちその旨を断わらない。
二犯行時刻(判決理由第一)
なるほど、前記第三の二(一)と第三の一四(二)でみたところからすれば、レイは一一月二四日午後八時頃以降翌二五日午前七時頃までの間に殺害されたと認められるにとどまる。刑事第二審判決が「一一月二四日午後七時ころの若干時間後から翌二五日午前七時ころの若干時間前までの間」と判示していることもこれと同趣旨である。第一審判決の二四日午後八時三〇分頃以降同日午後一二時頃までの間という犯行時刻の認定は、根拠にとぼしく誤認の疑いがあるといい得る。しかし、たとえこの点に事実の誤認があつたとしても、これが判決の結論に影響を及ぼすものとは認められない。被告らは、第一審判決が午後八時三〇分頃以降と認めたのは、原告の刑事第一審第七回公判における「原告は八時三〇分頃就寝したが、そのころレイは台所で仕事をしていた」旨の供述等を採用したものであるところ、原告の犯行かどうかが争われている刑事裁判において、犯行を否認している原告の供述を無批判的に採用し犯行の時刻を決定することは、事案解明の推理方法として妥当とはいえず、かような証拠判断の一般的態度は、誤判の因と考えられると主張する。しかし犯行時刻の認定に際して裏付けのない原告の供述を採用したとしても、その故にその他の事実一般について事実を誤認していることにならないことは明白であるので、右主張は失当である。
三レイとの不和(判決理由第四の一)
この点については、第三の六、七で検討した。すなわち、原告とレイとの間の長年の不和は原告が本件殺人におよんだと仮定した場合その遠因と考えられないものではない。しかし、本件発生の約一週間前に一応和解ができたことから推察すれば、右両名の従前の不和を直ちに犯行の直接動機と見ることはできない。(証拠・国島トシの警察官に対する供述調書)も不和を直接動機と認めさせるには足りない。原告と大竹日出子との再会、無断宿直にしても、これがレイとの不和を再燃させる契機となる可能性も考えれるけれども、現に右再会が契機となり対立が再燃したことは、確認し得ない。第一審判決は、このようなことを判示しているものと認められ、そこに事実誤認はない。
四手紙類の遺棄(判決理由第八の七)
この点については、第三の八で検討した。すなわち、この新聞包みは、原告が本件発生後捨てたものと考えても必ずしも不合理とはいえないのであるが、その他の種々の可能性も考える余地はあつて、そうであると断定するに足る証拠はない。従つてこれと同旨の第一審の認定に誤りがあるとは認められない。
五唐鍬の出所(判決理由第八の五)
第一審判決は、被告ら主張のように、唐鍬は必ずしも隠匿されたと断定できず、ただ何人が何時九畳の間の前の縁側から物置に移したかの説明がつかないとこになると判示している。この点に関しては、第三の一一(一)(二)で検討した。すなわち検察官が公訴提起当時収集した証拠によれば、唐鍬は、一一月二四日夕方から遅くとも翌二五日午前一〇時頃までに物置に移されたものと推認され、原告がこれを運んで隠匿したと判断することは、必ずしも不合理ではないということであつた。しかし、その場合でも、原告でなく、脱穀作業に従事した者などが運んだ可能性が全く否定されるわけではないうえ、原告が運んで隠匿したとの推理は、唐鍬が原告の使用した凶器であると認め得ることによつて裏付けられるものであり、この点が疑問であることになると、右推理過程は重大な影響を受けるものである。ところで、唐鍬は凶器たり得る性状をもつのであるけれども、刑事第一審の過程において、唐鍬にA型血痕が附着している旨の佐藤第一鑑定の鑑定結果は、上野鑑定人の鑑定意見により若干の疑問点を指摘され、そのうち血清学的検査の方法において違法な点すら存在し、その信用性は著しく減退し、結局右鑑定によつては、血痕が附着しているかもしれないことが認められるにすぎなくなつたのである。そうすると、この鑑定を採用しない旨の第一審判決言渡後の段階では唐鍬を凶器と判断する根拠は大幅に減殺され、ひいては、原告がこれを運び隠匿したと推認するについても、かなりの困難が生ずることとなる。従つて、第一審判決が、何時唐鍬を移したかの説明がつかないことになると判示している点は控え目な認定とはいえ、誤りとまではいえず、同判決が必ずしも隠匿されたと断定できず、誰が移したかの説明がつかないと判示している点は、もとより正当というべきである。なお第二審判決もこの点につき実質的に異つた判断をしているものとは認められない。
六草履(井戸端にあつたもの)および手桶(判決理由第八の四)
第一審判決では、右草履と手桶の状態について詳細な認定がなされていないが、結論として、原告がレイの過誤死を擬装したとの確証はない旨判示している。この点については、第三の三で検討した。すなわち、右草履の置かれていた状態と原告の言動からして、原告が擬装工作をしたものと考えることは必ずしも不自然でなく、原告に対して嫌疑を生む情況的事実の一つと評価しうるものであるが、これは推認にすぎないものであつて、他に確証はない。この意味で、第一審判決の認定は正当というべく、事実誤認はない。第二審判決の認定は第一審判決のそれと実質的に異つた判断をしたものではない。
七被害者の死体と井戸の状況等(判決理由第八の一、二)
第一審判決は、被告ら主張のように、井戸内壁に附着する数か所の血痕が、いかなる機会にどのようにして附着したものか明らかでない旨、および井戸蓋北側半分が実況見分時以前に取りはずされたが、何人の所為か明らかでない旨判示している。この点については、第三の四で検討した。すなわち、犯人は、レイに対して死因となるべき重傷を与えたのち、井戸の北側の蓋を取りはずし、レイを井の中に投げ込み、再び蓋をしたもので、その際井戸内壁にレイの血が附着したものと認めるのが相当である。このことは、右犯人が原告方の事情にある程度通じ、かつレイに対し何らかの特殊感情を有するものと推認でき、従つて、原告に対して嫌疑を生ずる情況的事実と評価しうるもものである。しかし、佐藤第一、第二鑑定の鑑定結果その他当初原告に不利と判断された情況が第一審における取調べの結果採用し難くなつた以上、原告が殺人犯人であると断定できず、結局井戸蓋を外す等の行為をした者は不明であるといわざるを得ない。この点第一審判決の認定は控え目ではあるが、それが判決の結論に影響を及ぼすものとはいえない。
第二審判決も結局実質的にはこれと同旨であるといえる。
八被告人のレインコートの紛失(判決理由第八の八)
第一審判決は、被告ら主張のように、レインコート紛失の理由は明らかでなく、原告が(隠匿)したことの確証はない旨判示している。この点に関することは、第三の一五(二)で検討した。すなわち、レインコート紛失の理由も、原告の隠匿をも証明すべき証拠はない。第一審判決の認定は正当である。
九佐藤好武鑑定書
第一審判決は、被告ら主張のように、佐藤第一、第二鑑定の鑑定結果を、いずれも採用し得ないと判断している。この点については、第五の二(一)ないし(四)で検討した。すなわち、右鑑定結果は唐鍬と焦茶色背広上衣との血痕の血清学的検査の方法において違法であり、かつ右上衣の血痕の血液型判定の結果、右背広チョッキ・ズボン、ゴム草履に血痕附着の有無についても誤つている。結局右各鑑定は到底採用し難いものである。第一審判決の認定は、結論において相当である。
一〇レイの胃内にあつた獣肉(判決理由第八の三)
第一審判決は、レイが何時いかなる機会に獣肉を食べたか明らかでないとしたうえ、被告ら主張のように、本件の解決には、この点が明らかにされなければならない旨判示している。しかし、第一審判決全般の趣旨からこの部分の意味を汲み取れば、第一審判決はこの点の解決がなされない以上原告の罪責を認めるわけにゆかないというほどの強い意味をもつたものでないことは明らかである。第一審判決に事実誤認はない。
一一一一月二五日朝の被告人の行動(判決理由第七の四)
第一審判決は、原告の一一月二五日朝の言動を不自然であるとしたうえ、人の言動は合理的には説明できない場合があり得るし、原告が一面きちようめんな性格であることを考えると、あるいは二五日の朝も身仕度を整えたのかも知れないと見られる余地もないではないと判示している。この点については第三の二で検討した。すなわち、二五日朝の言動は、第一審判決が判示するよりも原告に不利な事実と判断するのが相当と認められる。しかし、それも程度問題であつて、佐藤第一、第二鑑定の鑑定結果その他原告に不利と考えられた情況が第一審における取調べの結果採用し得ないものとなつた以上、この程度の評価の差が判決に影響を及ぼすものとは認められない。
一二福助印ワイシャツのA型人血痕の附着(判決理由第七の二)
第一審判決は、被告ら主張のように、福助印ワイシャツの両袖口にA型人血痕が附着するとしたうえ、原告が、死体解剖や解剖台の解体の際福助印ワイシャツを着用していたかもしれず、また解体作業時にレイの血液が附着する可能性がなかつたとはいい切れない以上、右人血痕が犯行時原告がこのワイシャツを着用していたがために附着したものと断定することはできないと判示している。この点については、第三の一三で検討した。すなわち、福助印ワイシャツの血痕は、本件殺人の際附着したものと断定できず、死体解剖後の着せかえと入棺、翌日の解剖台の焼却などの作業の際附着した可能性も全く否定し去ることはできない。第一審判決の右判示は、正当である。もつとも第一審判決は、原告が一一月二七日着用していた上衣は黒色背広であつたと認定しているが、前にみたように、このように断定し得るか否か疑問である。しかし、同日の上衣がカーキ色であつたとも断定できない以上、この点は判決に影響を及ぼすものとは認められない。
一三牛小屋二階のワラ束と干乾束の下から発見された草履(判決理由第八の六)
第一審判決は、被告ら主張のように、右草履は通常あり得べからざる場所にあつたというべきであるが、原告が隠匿したとする確証がなく、右草履に関する佐藤第一鑑定の鑑定結果は採用し難い旨判示している。この点についてはすでに第三の一〇において詳論したとおり、第一審判決は正当である。なお第一審判決はこの点も明らかにされなければならないと判示しているが、その判決文全体の趣旨にかんがみ、その意味は、この点の解決がなされない以上原告の罪責を認めるわけにはゆかないというほどの強いものでないことは明らかである。第一審判決に事実誤認はない。
一四結論
以上、検討したように、第一審判決には判決に影響を及ぼすような事実誤認はない。とりわけ、第一審の証拠調べの結果から、佐藤第一、第二鑑定の鑑定結果が採用し難いものとなつたことは、到底覆えし得ないところである。もとより、その他の情況的事実中には原告に対する嫌疑を一応抱かせるようなものもある。しかし、これらは、反対の事実認定や評価が可能であり、原告を犯人であると断定するには合理的な疑いをもたざるを得ない。所詮検察官が控訴申立・維持に際しとつた判断は、第二審判決において容れられなかつたばかりでなく、前述した基準に照らして、違法であり、検察官において相当の注意を払えばこれを避け得たとの点で検察官には過失があつたというべきである。そうすると被告国は、原告に対し、これによつて蒙つた損害を賠償する義務がある。附言するに、検察官が、被告国の公権力の行使に当る公務員に該当し、控訴の申立と維持とが検察官の職務行為としてなされるものであることは、いうまでもない。
第七損害
一主任弁護人石川六郎関係に要した経費
金一八九、〇〇〇円の限度で理由がある。すなわち、<証拠>によると、原告は、第二審において弁護士石川六郎を弁護人に選任し、同三七年七月までに、同弁護士に対し、第二審の弁護報酬(手付金名義で金三〇、〇〇〇円、謝礼名義で金一一三、〇〇〇円)、旅費・日当・車代など合計金一八九、〇〇〇円を支払つたことが認められ、右金額は相当である。その余の本項関係の経費については、いずれも第一審の防禦費用として支出されたものであることが、原告の主張自体から明らかであるから、その賠償請求の部分は失当である。
二特別弁護人石井光治関係に要した経費
全部理由がない。すなわち、本項関係の経費のうち、第一審活動費金一〇五、四二〇円と報酬金六二七、三六〇円については、いずれも第一審の防禦に関連して支払われ、あるいは支払うことが約されたものであることが、原告の主張自体から明らかであるから、その賠償請求の部分は、失当である。つぎに第二審活動費金五四、二九〇円については、<証拠>によると、これは、原告の兄・訴外石井光治が、原告の依頼を受けて勤務先会社を辞職し、公判期日に出席し、あるいは記録の謄写・打ち合わせなどをした際、同人の旅費、宿泊費、食事代などの経費として支出されたものであることを認めることができる。しかし、第二審では原告自身身柄の拘束を受けていたわけでもなく、私選弁護人も選任されていたのであるから、そのうえ石井光治が前記のような活動をしこのような経費を支出するということは、兄弟愛の発露として世上まれにみるうるわしいことではあるものの、検察官の控訴の申立および維持との間に相当因果関係ありとはいい難い。よつて右第二審活動費の請求も理由がない。
三原告が直接支払つた経費(行動費)
金一五、九九〇円の限度で理由がある。すなわち、<証拠>によると、原告は第二審における公判期日の出頭、証人尋問の立会い、弁護人との打合せ、謝礼などのための旅費として、合計金一五、九九〇円(すなわち、別表「損害表」の別紙内訳第三記載の合計金一九、一五五円から、各費目のうち、昭和三四年四月二五日、同月二九日、同三五年一二月二一日、同三七年四月二二日(三六〇円の分)の金額、およびその余の費目のうちの食事代を控除した残額)を支出したことを認めることができ、これは、控訴の申立・維持と相当因果関係のある支出ということができる。右括孤内記載の費目は、第一審又は刑事補償のための費用、食費であるから因果関係を認めることができないので理由がない。
四裁判記録等の騰写材料費
全部理由がない。すなわち、<証拠>によるも、第二審において必要とされ購入したものを特定することができず、その他にこの点を確認するに足る証拠はないからである。
五殺人事件の被疑者および被告人にされたための減収額
全部理由がない。すなわち、<証拠>によると、原告は、本件で逮捕されたことにより村長の勧告を受けてやむなく鮫川村役場吏員の職を辞し、その後同三五年一二月第一審の無罪判決宣告により身柄を釈放され、同三七年七月に至つてはじめて富国生命保険相互会社福島支社石川支部の生命保険外務員に就職したことが認められる。原告が第二審における防禦に努力したといつても、それがため勤労による利益を挙げられないほど多忙であつたとは認めるに足りる確証がない。また殺人事件の被告人であるとの法的な地位は、検察官の控訴提起・維持によりなお継続するのやむなきに至り、これは原告の社会的評価に不利とはいえ、すでに第一審において無罪の判決が云い渡されている以上、原告がそのために勤労による利益をあげることができず又はその額が減少するものと即断すべきではない。原告本人尋問の結果によつてもこの結論を左右することはできない。
六慰藉料
金三〇〇、〇〇〇円の限度で理由がある。すなわち、原告本人尋問の結果によると、原告は、無罪判決の確定が長期間遷延されたことによつて多大の精神的苦痛を蒙つたことを認めることができ、これに対する慰藉料の額は、原告の社会的地位、かけられた嫌疑の内容とその期間、検察官の過失の態様と程度など諸般の事情を考慮して、金三〇〇、〇〇〇円をもつて相当と認める。
七国家賠償訴訟訟費用
(一) 代理人に対して支払うべき費用
金一一〇、四九九円の限度で理由がある。すなわち、原告が同四二年二月七日弁護士大塚一男(東京弁護士会所属)、同谷村正太郎(第二東京弁護士会所属)に対して本訴の訴訟追行を委任したことは記録上明らかであり、<証拠>によると、原告はその頃右両名に対し法律扶助協会の立替えで着手金五〇、〇〇〇円と実費一〇、〇〇〇円を支払い、成功報酬として認容額の一割を支払うことを約したことを認めることができ、事案の難易や<証拠>により認めうる大塚弁護士所属の東京弁護士会制定の報酬規定上成功報酬が一〇〇万円以下一割二分ないし三割、五〇〇万円以下八分ないし二割とされていることによれば、この約定額はもとより相当である。そうすると弁護士費用の請求は、一・三・六の合計金五〇四、九九〇円の一割である金五〇、四九九円に金六〇、〇〇〇円を加えた合計金一一〇、四九九円の限度で理由がある。
(二) 石井光治に対して支払うべき費用
全部理由がない。
1 実費について考察する。<証拠>によると、本項の実費として原告が請求する金員は、石井光治が、本訴の提起と追行とに関連して自から行動した際に経費として支出し、あるいは本来原告が本訴の提起と追行とに関連して支出すべきところを立替えて支払つた金員であつて、その細目は、行動費(裁判所への出頭、書類の提出、記録の謄写、調査などのための旅費)、資料費(文献の購入、複写費用など)、文房具費(書類の用紙、インク、ペンなど)、連絡費(原告、裁判所、弁護士などに対する電話料金など)、立替費(印紙代、旅費など、石井光治が立替えて支払つたもの)などに分かれることが認められる。
しかし、石井光治は本訴の当事者でも代理人でもないのであるから、同人が本訴に関連して自から行動するに要した経費は、たとえ原告がその償還を約したとしても、これが検察官の不法行為と相当因果関係のある損害といえないことは明らかである。また原告が本訴に関連して支出すべきところを立替えて支払つた金員について、このうち民事訴訟費用法上の訴訟費用に該当する部分は、他の訴訟費用とともに本訴の訴訟費用の裁判で負担の割合が判断されるべき筋合いであるから損害賠償債権として請求できないし、右訴訟費用に該当しない部分については、これらが原告の権利の伸張・防禦に欠くべからざるものであつたことの立証があつたとはいい難い。よつて実費の請求は理由がない。
2 報酬について考察する。原告は、石井光治が本訴の提起と追行に多大の貢献をしたので同人に報酬を支払うことを約したと主張するものであるが、このような費用が検察官の右不法行為によつて通常生ずる損害とはいえず、又これを検察官が予見し又は予見し得るものではない。よつて、報酬の請求は、理由がない。
第八結論
以上の次第で、原告の請求は、被告国に対し第七の一・三・六・七(一)の合計金六一五、四八九円および内金五〇四、九九〇円(右七(一)を控除した残額)に対する不法行為後の昭和四〇年四月一一日以降支払い済みまで民法所定年五分の割合
費目
金額(円)
摘要
財産的損害額
弁護人関係の経費
主任弁護人・
石川六郎関係
に要した経費
第
一
審
円
一二七、〇〇〇
三一九、〇〇〇
詳細内訳は、別紙内訳第一のとおり(甲第10号証)
第
二
審
一八八、〇〇〇
車代
四、〇〇〇
特別弁護人・
石川光治関係に
要した経費
活動費
第一審
一〇五、四二〇
七八七、〇七〇
詳細内訳は、第一審及び第二審関係については別紙内訳第二のとおり、報酬については本表末尾(注一)参照。
第二審
五四、二九〇
報酬
六二七、三六〇
原告が直接
支払つた経費
行
動
費
一九、一五五
一九、一五五
詳細内訳は別紙内訳第三のとおり。(甲第61・62号証)
裁判記録等の謄写材料費
九、八六八
詳細内訳は別紙内訳第四のとおり。(甲第12号証一、二)
殺人事件の被疑者および
被告人にされたための減収額
五四八、〇八七
詳細内訳は別紙内訳第五及び第六のとおり。(甲第13、14、15号証)
計
一、六八三、一八〇
慰藉料
二、四八〇、五五〇
計
四、一六三、七三〇
国家賠償訴訟費用
代理人に対し支払うべき費用
四六〇、〇〇〇
石井光治に対し
支払うべき費用
実費
一六七、〇一七
二三〇、〇〇〇
詳細内訳は
(甲第66号証)。(注二)参照。
報酬
六二、九八三
計
六九〇、〇〇〇
総合計額
四、八五三、七三〇
(注一) 石井光治は、昭和三三年一二月以降同三五年一二月まで、特別弁護人として本件刑事事件の弁護活動に専従し、公判出廷、打合せ、記録の騰写と整理検討などの活動に多大の時間と労力を投じた。そのため原告は、石井光治に対し別紙内訳第二「活動費(生活維持実費)」記載の金三七七、三六〇円のほか、一か月金一〇、〇〇〇円の割合による二五か月間二五〇、〇〇〇円(合計金六二七、三六〇円)を支払うことを要する。
(注二) 石井光治は、本件訴訟において、法律扶助協会の紹介による訴訟代理人を選任するまでの間、実質的には原告の訴訟代理人の役割を果し、それ以後も、右訴訟代理人と一体となつて訴訟を追行し、事実上補佐人の役割を果たした。そこで原告は、石井光治に対し同人が支出した実費と、報酬を支払うことを約束したものである。
による遅延損害金の支払いを求める限度で、理由があるので認容し、同被告に対するその余の請求および被告福島県に対する請求は、理由がないので棄却し、仮執行の宣言は不必要であるからこれを付さず、民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を適用して、主文のとおり判決する。(沖野威 佐藤邦夫 加藤英雄)
別紙第一ないし第六および別表「損害表」の一部省略